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【Vol.6】ハートに灯をつけて

ご存知、ボエームの第一幕。 ミミとロドルフォの出会いのシーンは 蠟燭の火がきっかけになりますね。蠟燭って暗いんですよ……

季節はちょうどクリスマス頃。 ヨーロッパは緯度が高いせいもあって、冬はとても早い時間に暗くなってしまいます。 今頃だと17時には真っ暗です。
そして、これはまた別の機会にお話しようと思うのですが、ロドルフォの部屋は西向きなんです。
まだ、最後の夕陽があたって 赤く空を染めている頃、そう、16時頃でしょうか?窓際に置かれたマルチェッロのカンバスはまさに紅に燃える紅海だったのでしょうね。
その後、ショナール、コッリーネが現れて、ベノアを追い払って…… ミミの登場は 17時から18時頃になっていたかもしれません。
もうその頃は真っ暗です。 当然、明かり取りのない屋根裏部屋に続く階段は真っ暗。 コッリーネは階段を落っこちてしまいます。あーあ。痛そう……

ヨーロッパの大きな建物の多くは屋根裏部屋を持っています。 古い貴族の館等の場合、屋根裏などに続く階段は、館の中のものとは別に専用の小さい入り口を持ち、暗い階段を使って直接上に上がるような仕組みになっているところもあります。 ちょうど歌舞伎座の大向こうやスカラ座の天井桟敷につづく階段のように。
物語の舞台となった彼らのパラッツォはどんな規模かは判らないですが、そこそこの大きさはあったと思われます。 だって門番雇っているくらいですから。
ドアの処に門番が居て、帰ってくる住人のために灯りを用意しておいたりするはずが、どうやらショナールの罵り声「Maledetto portier!(忌々しい門番め!)」からすると、サボって灯をともしていないどころか、どこにも居なかったのかもしれません。

帰ってきたミミも門番に灯を貰えなくて手探りで階段を登っては来たものの、真っ暗な廊下で鍵をあけられずに困っていたのでしょう。
そこへ隣家のドアが開き、3人の若者が飛び出して行ったのです。そして灯りがもうひとつ、部屋の中に……やった!!灯りが貰える。

ミミの部屋とロドルフォの部屋の位置関係は台本や二人のセリフの端々に見えてきます。

ちょうど階段の登り切ったすぐの処、西側がロドルフォの部屋になるようです。勿論屋根裏部屋です。
ドアは階段に向かって開くようです。なぜなら、コッリーネもショナールもミミがそこに居る事に気付かなかったのです。
いくら真っ暗でも人の前を通ったら、それも若い娘さんの前を素通りできるようなマルチェッロ達じゃあありませんよね。残念なことに、ドアをあけても、奥の方は陰になってよく見えなかったのでしょう。
そして、そのドアの前を通り過ぎた反対、つまり東側の部屋がミミの部屋のようです。だからミミからは皆が降りて行ったことも、最後にひとり残ったこともちゃんと見えていたのです。

さあ、ちょっと勇気だして蠟燭の灯を分けてもらいましょう。

え? ライター??? ないですないですヾ(^_^;;
ロドルフォも第一幕で、戯曲を燃やすストーブの火をつけるのに火打石を使っていますよね。
さて、マッチが発明された時期をいつと見るのはちょっと難しいのですが、一般的にイギリスのジョン・ウォーカー氏が硫黄をかぶせた軸木を2枚の硝子粉紙の間にはさんで発火させるマッチのモトを発明したのが起源と言われています。これが1827年のことです。
その後1831年にどこで擦っても簡単に発火する黄燐マッチがフランスで誕生。このフランス生まれのマッチによって、ようやく人類が原始時代に別れを告げたわけです。
ちょうどボエームの時代には、まだ産まれたてほやほやのマッチです。 高価すぎて貧しい学生やお針子なんかが簡単に買う事は出来ません。
ということで、蠟燭についた火はとても貴重なのです。そして とてもほの暗い。
お互いの顔を見ることはできるけれど、足下におちた鍵を探すのはとっても無理なくらいだそうです。実証した人から聞きました。
特に、外のネオンや近所の電気の灯りなどない時代です。(部屋中の待機のランプだってないですよ)静寂と闇が支配する中、オレンジ色のやさしい光の中に姿がみえて、なんてロマンチックと言った方がいいか危ないと言った方がいいか……
簡単に恋のひとつやふたつ、始まってしまいそうですね。
ライターやマッチ、簡単に点火できる、というより電気やらLEDやらの灯りで暗闇のほとんどない現代では、なかなかこういう素敵なチャンスには巡り会えなさそうです。

【こんな可愛いミミが来たらどうしよう…】

【Vol.5】 グリセットのお話

原作では1840年の設定を、オペラではわざわざプッチーニが1830年代初頭に移したのにはいくつかの理由が考えられます。ひとつは、国王陛下の人気の度合いです。それと一番の理由は生活の苦しさではないかと愚孝しているわけです……

1830年初頭は貧しかった労働者階級は更に貧しく(それ以前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)農村の労働力としては心もとない娘達は、田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。

有り難いことに?フランス革命で宗教をも壊した「時代の申し子たち」の子供達、つまり『キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の第2世代』です。貞操に対する罪悪感の薄さったらありません。

かくして、大勢の娼婦予備軍の娘達が誕生します。
この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、トラヴィアータ(椿姫)の主人公、ヴィオレッタのようなクルティザンヌへと変貌します。

一方、そこまでの幸運と美貌とに恵まれなかった娘達は、割とフットワーク軽くそして逞しく生きてゆきます。
それがグリセット(Grisette)達です。
直訳すると『グレーの服の娘』とでも言えばいいのでしょうか?語源はグリ(Gri:グレー つまりお針子達の安価なグレーの制服)です。
当時の市民感覚としては「援助交際ギャル」とか「浮気娘」というところでしょうか。
グレーの制服を着たお針子や洗濯女達のお給金はとても安く、ギリギリ食べることは出来ますが、ちょっと気の利いたお洒落をしたり、カフェに行っておしゃべりをするには足りません。やはり副業が必要というか、手っ取り早くちょっとした贅沢をさせてくれる人が居たら嬉しいのです。

一方、中・上流階級出身の子息で医師や弁護士になるために大学に行っている学生や 裕福だけど、さすがにクルティザンヌを庇護するまでの資産はない老人達にとって、公営の娼館への出入りがはばかられる理由は山ほどあります。
かといって、同じ階級の娘達に手を出そうものなら、一応崩壊しているとはいえカトリックの国ですから、思いっきり差し障ります。

そういった双方の利害が一致した結果、「プロではない普通の女の子」のグリセット達は(当然、シルクを扱ったりしますので、身は–フランス人にしては—清潔にしていますし、手はすべすべです。)彼らのつかの間の愛人として、カフェに連れて行ってもらったり、可愛いアクセサリーやドレスを買ってもらうのです。
そう、ムゼッタなんかはグリセットそのものです。
若くて美人で魅力的で。マルチェッロの事は実際、大好きなのです。でも、愛だけでは生きていけないのです。

でも「贅沢が同じくらい好きなの…… アルチンドロは私の言うことなんでも聞いて、なんでも買ってくれるのよ。」

ムゼッタは、この物語の後、若い参事官の愛人になった時には、ル・アルプ通りを出てプリュイエール通りへと移り住みます。つまり、日本の江戸時代における大川の向島あたりの寮に住まわせた、小唄の師匠みたいな……ロレットと呼ばれる、もう他の仕事をしない身分へとステージアップします。

で、カンのいい方でしたらピン!と来られたかと思いますが、ボエーム2幕の群衆の中に「学生達とお針子達のカップル」が沢山出てきますね。つまりそういうカップル達でしょうか。

商売としての娼婦とは一線を画しているところもクルティザンヌと一緒ですが、彼女達は文化を創ることはしませんでした。

クルティザンヌがパリのガガ様なら、グリセットはリアルAKB。会いにいけるアイドル達といったところでしょう。

そして、ミミ。彼女も実際はそういったグリセットのひとりといっていいでしょう。

ミミは言います。「私の名前はミミ。本当はね、ルチアというの。」前にも書きましたね。「可愛い子ちゃん」「ねんねちゃん」という意味の愛称だと。
まずい事に(笑;;;; 「ミミ」「ジュジュ」「ルル」「ロロ」といった『繰り返し名』はマキシムを代表とする 踊り子たちの源氏名に多い名前であり、愛称であったようです。
ミミもきっとそういった中で、ちょっとまだ擦れていない、可愛い娘として「ギョーカイ」でそう呼ばれていたのでしょう。

現に、とても恋愛上手な可愛さと、病気のためロドルフォと別れて「ちゃんと」子爵に面倒を見てもらうことが出来るだけの知恵と力量とを持っていたようです。
それに、ロドルフォと知り合って間もない2幕の頭でも「ねえ、このバラ色の帽子、私に凄く似合うの」といって可愛いおねだりをしています。かなり高度なテクニックです。(^_^;;

原作に出てくる「浮気性で気まぐれなミミ(本名リュシェル:フランス語でルチア)とフランシーヌという肺病で死んでしまう儚い乙女との二人を合わせたキャラクターがプッチーニのミミ」と言われています。 そのため、一途さと清純さが前面に出た性格なっているため、男性、特に、日本の男性の間には、ミミ=聖女説がある一方、ミミを娼婦とこき下ろす説もあります。

私はこのどちらの両極端の説にも賛成しかねるんです。やっぱりプッチーニが自分の好きなタイプの女の子として造り上げたキャラクターだけの事はあります。 基本、根は善良で純真です。
けれど、ムゼッタを初めてみたとき、「e pur ben vestita! (でも素敵なドレスよ!)」と言ったり、サンゴの首飾りをしっかりと欲しがったり、ちょっとその生活の片鱗を見せてもくれています。「私はミミと呼ばれています」というアリアの歌詞も、随所にロドルフォを誘う言葉が盛り込まれているのです。

「ひとりで、 お昼ごはんを作って食べています。(カレシはいないのよ)  ミサには毎回は行っていません( 神様に縛られているわけではないのよ…多少の不品行はオッケーよ)  でも、神様にはたくさんお祈りしているんですよ。(あ、でもそんなに自堕落じゃないのよ)   一人です……たった一人で生きているんです。」

もう、めっちゃくちゃに上手いです。モテ期がまだ!と仰る方はぜひミミをご参考になさってください。

また、1830年初頭のグリセットたちは、まだまだ牧歌的で、学生たちや若い芸術家たちの恋人として、まめまめしく尽くすことが主だったそうです。それが40年代以降になると、経済状態の悪化から、更に荒んだ生活を送る娘たちが多くなっていったそうです。
そのため、プッチーニはどうしても時代を1830年代初頭に持っていきたかったんだろうな。
【「らしい」ボエームといえばこれ!演技派ストラータスとせつないカレーラスが絶品】

【Vol.2】 カフェ・モミュスに行こう!

舞台になった、カフェ・モミュスなんですが、実はThomas Boysという画家がスケッチを残しています。
ケンブリッジ・オペラ・ハンドブックの表紙にスケッチの一部が使われているので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれないですね。
画像検索でしっかり見つかりました。
壁にちゃんと「カフェ・モミュス」とあります。ビリヤードっていう文字もみえます。

こちらの絵は複製画を14.9ユーロから(税込み)で購入できるようです。よろしければおひとつ……

う~ん。 実在したのですねえ……だけど、なんだかちょっとイメージは違う雰囲気はします。
場所はどこでしょう。水彩画の方の説明には、Rue des Prêtes, Paris とあります。多分、これは住所でしょう。

地図を広げて調べると、その通りの名そのものは既に見つからず、3 Rue des Prêtes Saint-Severinと言うところにサンセヴラン教会があります。カルチェラタンの近く、サンジェルマン通りのすぐ北、イル・ド・フランスといわれる地域です。

ちょっと微妙だなあ…… と思いつつ、ト書きを読んで行くと、色々と通りの名前が出てきますね。

市民達が「Via Mazzarinoに行こう!さあ、Cafe Momusへ行こう!」と言います。(ヴォーカルスコア98ページ)
パリの場合、Rue Mazarine(マザリーヌ通り)でしょうか。
地図を広げてみると、ああ、ありました!マザリーヌ通りにムゼッタが立つ(116ページト書き)と、ドフィーヌ通り(106ページ)との交差点を挟んだその向うの旧コメディ通りにパルピニョールが去ってゆきます(110ページ)。
そのちょうど5つの通りがちょっと変則的に交差する角には まさにこんな感じ!というカフェが両側にあります。
Le Buci とLe Conti…… あ、ちょっと惜しい!モミュスじゃないっ!!(笑;;;;

それでもその辺りはまさに カフェ・モミュスのイメージにぴったりですね。
実は、別のルートから、モミュスのあった場所が判りました
17 Rue des Prêtres-Saint-Germain-l’Auxerrois だそうです。

関係者の家やモミュスの場所を入れたGoogleMapを作って、公開しておきましたので、興味のある方はどうぞ。まあ、リアルに場所がわかったからってどうってことはないですが(笑;;;
だけど、これで見ると、モミュスって、ポン・ヌフを超えて、対岸にあるんですね。

ところで、オペラの中に登場するカフェ・モミュスのモデルには、もう一つ、プッチーニが当時滞在していたトリノのテアトロ・レージョ近くにある カフェ・ビチェリン(Al Bicerin)がそうじゃないかという説もあります。
創業が1763年とのこと、少なくとも初演を前に準備が忙しかったプッチーニが通っていた事は想像に難くないでしょう。

–イタリア人ですもの、3歩歩いたらバール寄りますからね。(^m^)–

ひょっとして、音楽のイメージの中に このカフェが反映されているかもしれないですね。

ところで、ここでクイズをひとつ。

実在の4人の若者達(当時「四銃士」と呼ばれていたそうですよ)をモデルにした、ロドルフォたち4人。カフェ・モミュスへは、このクリスマスの晩に「A:実は初めて行った」いえいえ、「B:何度も行った事がある」

さてどっちでしょう。

応えは「B:何度も行った事がある」です。

え? だってボーイが持ってきた会計書見て「高っ!!!」って叫んでいましたよね。自分たちの懐具合も値段もわからないでモミュスに繰り出していったって??

そうなんです。そこんところについてもリブレットにはちゃんと書いてあるんです。
「彼らは、何度もモミュスに出かけ、請求書を受けても払う事もなく出てくるところも一緒で……」
のどかな時代なんでしょうか。

確かに、今回もそれなりのお金をしっかり手に入れてモミュスに行った筈なのに、コート買ったり、ボンネット買ったり、そもそも先に全部使っちゃっていましたよね。

ちなみにビチェリンとは ホットチョコレートにコーヒーとクリームを泡立てたものだそうです。せんだって、念願叶ってトリノへ行くことができましたが、悲しいことに、カフェ・ビチェリンは定休日でした。

【確認したくなったら…】