ラ・ボエーム《お時間のない方向け》

《超ざっくりいうと》
未来を夢見る若者たちの群像劇。もちろんいつだって金欠なので、家賃や飲食代踏み倒すのも朝飯前。ある日、画家マルチェッロの家に転がり込んでいる詩人ロドルフォは、肺を病んでいる ミミというあだ名をもつ可愛らしいお針子の娘と知り合い恋に落ちるが、どうしようもない貧しさのせいで一旦は別れ、ミミは裕福な子爵の庇護の下に入るが、結局最期はロドルフォの腕の中でと戻ってきて息絶える。
Photo by cottonbro

時代は1830年ごろ。クリスマスのパリ。
若い画家、マルチェッロの家の中はストーブにくべる薪もなく、転がり込んでいる詩人ロドルフォ、哲学者のコッリーネと、凍えながらもロドルフォの作品を燃やすことで暖を取ろうとしています。
ちょっと上手くやったショナールがいくばくかの稼ぎを持って帰ってくると、見越したように大家が家賃を取り立てに来ました。 大家を体良く追い出し、懐があったかくなった4人はお祭りの街へと繰り出すことにしますが、ちょっとだけ仕事の残っていたロドルフォは遅れていくことに。
するとドアをノックする音が。 若い女性の声にドアを開けると、ロウソクの火を借りに来たミミと名乗るお針子の娘です。あまりの可愛らしさに一目で恋におちた二人は揃って仲間の後を追ってパリの街へと出て行てゆくのです。

パリの街は行き交う人々、行商人達で大騒ぎ。あちこちから聞こえる物売りの呼びかけに応えて、皆気ままな買い物を楽しんでいます。ミミはロドルフォにバラ色のボンネットをプレゼントされます。人気のカフェ モミュスの中に 無理やり席を作って屯する仲間達に、ロドルフォがミミを紹介します。すると、道の向こうから甲高い笑い声が。マルチェッロとせんだって別れたばかりのムゼッタです。びっくりするほどめかしこんで、大量の買い物の荷物をもたせた紳士を引き連れて女王のようにやってきます。あてつけるような振る舞いの数々を持ってしても動じなかったマルチェッロですが、ついにはその魅力に負けてしまいます。引き連れていた紳士をていよく追い払い、さらにはモミュスの払いまで押し付け、ちょうどやってきた軍隊の行進の渦に紛れて皆で逃げて行きます。

しばらく経ったある早朝、ムゼッタと二人、看板を描き、歌を教えながらとある酒場で暮らしているマルチェッロの元にミミが訪ねてきます。ロドルフォは?夜中にやってきて酔いつぶれて寝ていると聞くと、喧嘩ばかりの今日この頃、ロドルフォが自分にあまりにも嫉妬深く疑い深くなってやっていけないと嘆きます。 そこへ目を覚ましたロドルフォがやってくるので、まだ会いたくないミミは木の陰に隠れて見ています。するとミミに気付かないロドルフォは、彼女の病が大変に重篤で、このままでは死んでしまうから、自分を見限って裕福な男性の元に行かせたいと、その言葉を聞いて思わず嗚咽をもらすミミ。そこへムゼッタが男達とふざける笑い声がし、マルチェッロとの痴話喧嘩が始まります。勢い余って喧嘩別れをする二人をよそに、ミミとマルチェッロは、冬の孤独はあまりに哀しいからと、春になったら別れることにします。

春が過ぎ、またマルチェッロとロドルフォが未練たらしいふたりの生活が始まっています。ショナールとコッリーネもやってきて、再び昔のような生活が戻ってきたのも束の間、ムゼッタが飛び込んできます。ミミがいるの!最期を悟ったミミが、世話になっている子爵の元を逃げ出してロドルフォの元で死にたいとさまよっていたところを見つけたというのです。大慌てでミミを連れてきて寝かせます。ムゼッタは今の愛人からせしめたアクセサリーを売り、コッリーネは一張羅のコートを手放します。医者、薬、冷たい手を温めるマフ。ショナールがずり落ちた手を戻そうと取り上げた時、その全てをあざ笑うようにミミはひっそりと息絶えていたのです。

【手っ取り早く】2020年2月現在 Kindleで無料公開されています。数少ないオペラコミック「ディーヴァ」のボエームの回。
若き歌姫、リマが挑む『ラ・ボエーム』の全幕っていうくらいなので、まあ、ある程度、あらすじはここでクリアできちゃいます。
中国 居城

トゥーランドット あらすじ《お時間のない方向け》

《トゥーランドット あらすじ:超ざっくりいうと》
超美人のお姫様への求婚譚。3つの謎を解ければ結婚解けなければ斬首という残酷なお姫様。一目惚れした亡国の王子が挑戦してまさかの勝利。よせばいいのに姫に出した王子の謎。王子を勝たせるためその名を知る女奴隷は自ら命を絶ち、彼女によって愛を初めて知った姫は王子の愛を受け入れる…ってわけわかんない話。
中国 居城
Photo by Ruiyang Zhang

北京の街は大騒ぎ。また今夜も無謀にも姫に求婚の謎解きを挑んで負けたペルシャの王子の処刑が告げられる。あまりに若く美しいその若者を惜しんで許しを請う人の中に亡国の王子が。人ごみの中、国の滅亡と共に逃れ、盲いた父王と、王を助けてきた女奴隷リューと再会する。喜びを分かつ間も無く、かいま見た姫の美しさに、求婚のドラを鳴らすのであった。

ピン、ポン、パンと三人そろった大臣たち、姫に求婚して失敗、処刑されることにはもううんざり。けれどドラがなったからには準備をせねばなりません。皇帝の前で姫への求婚をした若者の前に姫が登場します。 あまりの美しさに見とれる間も無く、姫は不吉な物語とともに謎を出します。なんと、王子はあっさりと3つの謎を解いてしまいます。
さあ大変。姫は求婚を受けなければなりません。冗談じゃない!私は神聖な皇帝の娘とわめき立ててももう遅い。いえ…、勝者の驕りか、ついつい姫に逆の謎を出して逃げ道をつくってまでやります。私の名を当ててみせろと。

姫は必死です。北京中は眠ることを許されません。王子の名前をどうにかして突き止めないと全員が処刑されてしまいます(んなこと有り得る??)誰かが王子が話していた父王とリューを見つけ出してしまいます。 きっとこいつらなら知っています。そう、リューは私だけが知っていると王を庇います。そして王子の前、リューは愛ゆえに口を閉じるといって自殺します。

姫はリューの自殺に衝撃を受け、愛に目覚め、王子を受け入れます。王子は命を姫に捧げると自分の名を告げます。韃靼の失われた王子、カラフであると。姫は王子の名が分かったと皆を呼び集め、皇帝の前に立ち、彼の名は「愛」だと告げます。全ての民の祝福の中、皇帝によって二人の婚礼が認められます。

【手っ取り早く】

トゥーランドットをざっくり予習するとしたら、里中満智子先生描くコミックがあります。 中公文庫-漫画名作オペラで、なんと、トゥーランドット、蝶々夫人、ラ・ボエームという、プッチー二の代表的な作品を網羅していますので、とりあえずこちらを

コルティジャーナの系譜

椿姫 あらすじ《お時間のない方向け》

《超ざっくりいうと》
ドゥミ・モンドに生きる肺病を患うヴィオレッタがふとした気まぐれで恋に落ちた田舎の青年アルフレードのお坊ちゃんらしい面倒くさい性格のせいで全てを失うけれど、真実の愛のもとで息絶えるという哀しくもちょっと夢のお話。

La Traviata
ヴィオレッタ・ヴァレリーは椿姫と呼ばれる美しいクルティザンヌ(高級娼婦ですね)。裕福なドフォール男爵の庇護のもと夜な夜な繰り広げられる豪華な舞踏会。
それがしばらくの間、体調が悪く臥せっていたところ、やっと床を上げての夜会をひらいたところ、一人の若者が遊び人ガストン子爵の連れとしてきます。
真っ直ぐな目で見つめて愛を告げる若者に、軽くいなしながらもつい、椿の花を渡してしまいます。揺れる自分の心を、初めてのことと不思議に思うのでした。

2ヶ月経ち、ヴィオレッタはその若者、アルフレードと駆け落ちをして田舎暮らしをしています。ただ、世間知らずのアルフレードのこと、生活にはお金が必要ということを理解していませんでした。自分の財産を、この刹那の暮らしのために売り払っていることなど夢にも思いませんでした。
そんなある日、ヴィオレッタを一人の紳士が訪ねてきます。アルフレード父、ジョルジオ・ジェルモンです。彼はアルフレードの妹にあたる自分の娘のため、アルフレードとの別れを要求します。ヴィオレッタは身を引くために、一通の手紙を認め、パリへと旅立ちます。

クルティザンヌの一人、フローラの家のパーティに、アルフレードが乗り込んできます。すでに会場では二人がもう別れたことは話題担っています。カードゲームが始まります。そこへヴィオレッタがドゥフォール男爵のエスコートでやってきます。カードゲームで勝ちまくるアルフレード。ヴィオレッタへのあてつけに、ドゥフォール男爵がカードゲームを受けて立ちます。食事の支度ができ、皆が立ち去った時、ヴィオレッタはアルフレードに帰るように警告しますが、聞く耳を持たないアルフレードは皆を呼び出し、皆の前でヴィオレッタの財産を返すといって、カードの勝ち金を投げつけます。ドゥミ・モンドのルールを逸した行為に皆の怒りを受け、そこへ父ジェルモンも登場します。
名誉のため、ドゥフォール男爵に決闘の白い手袋を叩きつけられます。

ヴィオレッタはアルフレードともドゥフォールからの庇護からも離れ一人死の床についています。訪ねてくれるのは医師のグランヴィルだけです。何度も読み返したアルフレードの近況を知らせるジェルモンの手紙を出しては遅すぎることを嘆きます。そこへ真実を聞いたアルフレードが駆けつけ、遅れてやってきたジェルモンやグランヴィル、メイドのアンニーナが見守る中生き絶える。

【手っ取り早く】里中満知子先生が描くマンガで見るオペラ「椿姫―アイーダ/リゴレット/マクベス」 (中公文庫―マンガ名作オペラ)です。
ヴェルディの名作一気見ができます。

【Boheme:Vol.5】 グリセットのお話

原作では1840年の設定を、オペラではわざわざプッチーニが1830年代初頭に移したのにはいくつかの理由が考えられます。ひとつは、国王陛下の人気の度合いです。それと一番の理由は生活の苦しさではないかと愚孝しているわけです……

針と糸
Photo by Suzy Hazelwood

1830年初頭は貧しかった労働者階級は更に貧しく(それ以前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)農村の労働力としては心もとない娘達は、田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。

有り難いことに?フランス革命で宗教をも壊した「時代の申し子たち」の子供達、つまり『キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の第2世代』です。貞操に対する罪悪感の薄さったらありません。

かくして、大勢の娼婦予備軍の娘達が誕生します。
この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、トラヴィアータ(椿姫)の主人公、ヴィオレッタのようなクルティザンヌへと変貌します。

一方、そこまでの幸運と美貌とに恵まれなかった娘達は、割とフットワーク軽くそして逞しく生きてゆきます。
それがグリセット(Grisette)達です。
直訳すると『グレーの服の娘』とでも言えばいいのでしょうか?語源はグリ(Gri:グレー つまりお針子達の安価なグレーの制服)です。
当時の市民感覚としては「援助交際ギャル」とか「浮気娘」というところでしょうか。
グレーの制服を着たお針子や洗濯女達のお給金はとても安く、ギリギリ食べることは出来ますが、ちょっと気の利いたお洒落をしたり、カフェに行っておしゃべりをするには足りません。やはり副業が必要というか、手っ取り早くちょっとした贅沢をさせてくれる人が居たら嬉しいのです。

一方、中・上流階級出身の子息で医師や弁護士になるために大学に行っている学生や 裕福だけど、さすがにクルティザンヌを庇護するまでの資産はない老人達にとって、公営の娼館への出入りがはばかられる理由は山ほどあります。
かといって、同じ階級の娘達に手を出そうものなら、一応崩壊しているとはいえカトリックの国ですから、思いっきり差し障ります。

そういった双方の利害が一致した結果、「プロではない普通の女の子」のグリセット達は(当然、シルクを扱ったりしますので、身は–フランス人にしては—清潔にしていますし、手はすべすべです。)彼らのつかの間の愛人として、カフェに連れて行ってもらったり、可愛いアクセサリーやドレスを買ってもらうのです。
そう、ムゼッタなんかはグリセットそのものです。
若くて美人で魅力的で。マルチェッロの事は実際、大好きなのです。でも、愛だけでは生きていけないのです。

でも「贅沢が同じくらい好きなの…… アルチンドロは私の言うことなんでも聞いて、なんでも買ってくれるのよ。」

ムゼッタは、この物語の後、若い参事官の愛人になった時には、ル・アルプ通りを出てプリュイエール通りへと移り住みます。つまり、日本の江戸時代における大川の向島あたりの寮に住まわせた、小唄の師匠みたいな……ロレットと呼ばれる、もう他の仕事をしない身分へとステージアップします。

で、カンのいい方でしたらピン!と来られたかと思いますが、ボエーム2幕の群衆の中に「学生達とお針子達のカップル」が沢山出てきますね。つまりそういうカップル達でしょうか。

商売としての娼婦とは一線を画しているところもクルティザンヌと一緒ですが、彼女達は文化を創ることはしませんでした。

クルティザンヌがパリのガガ様なら、グリセットはリアルAKB。会いにいけるアイドル達といったところでしょう。

そして、ミミ。彼女も実際はそういったグリセットのひとりといっていいでしょう。

ミミは言います。「私の名前はミミ。本当はね、ルチアというの。」前にも書きましたね。「可愛い子ちゃん」「ねんねちゃん」という意味の愛称だと。
まずい事に(笑;;;; 「ミミ」「ジュジュ」「ルル」「ロロ」といった『繰り返し名』はマキシムを代表とする 踊り子たちの源氏名に多い名前であり、愛称であったようです。
ミミもきっとそういった中で、ちょっとまだ擦れていない、可愛い娘として「ギョーカイ」でそう呼ばれていたのでしょう。

現に、とても恋愛上手な可愛さと、病気のためロドルフォと別れて「ちゃんと」子爵に面倒を見てもらうことが出来るだけの知恵と力量とを持っていたようです。
それに、ロドルフォと知り合って間もない2幕の頭でも「ねえ、このバラ色の帽子、私に凄く似合うの」といって可愛いおねだりをしています。かなり高度なテクニックです。(^_^;;

原作に出てくる「浮気性で気まぐれなミミ(本名リュシェル:ルチアのフランス語)とフランシーヌという肺病で死んでしまう儚い乙女との二人を合わせたキャラクターがプッチーニのミミ」と言われています。 そのため、一途さと清純さが前面に出た性格なっているため、男性、特に、日本の男性の間には、ミミ=聖女説がある一方、ミミを娼婦とこき下ろす説もあります。

私はこのどちらの両極端の説にも賛成しかねるんです。やっぱりプッチーニが自分の好きなタイプの女の子として造り上げたキャラクターだけの事はあります。基本、根は善良で純真です。

けれど、ムゼッタを初めてみたとき、「e pur ben vestita! (でも素敵なドレスよ!)」と言ったり、サンゴの首飾りをしっかりと欲しがったり、ちょっとその生活の片鱗を見せてもくれています。「私はミミと呼ばれています」というアリアの歌詞も、随所にロドルフォを誘う言葉が盛り込まれているのです。
「ひとりで、 お昼ごはんを作って食べています。(カレシはいないのよ)
ミサには毎回は行っていません( 神様に縛られているわけではないのよ…多少の不品行はオッケーよ)
でも、神様にはたくさんお祈りしているんですよ。(あ、でもそんなに自堕落じゃないのよ)
一人です……たった一人で生きているんです。」

もう、めっちゃくちゃに上手いです。モテ期がまだ!と仰る方はぜひミミをご参考になさってください。
また、1830年初頭のグリセットたちは、まだまだ牧歌的で、学生たちや若い芸術家たちの恋人として、まめまめしく尽くすことが主だったそうです。それが40年代以降になると、経済状態の悪化から、更に荒んだ生活を送る娘たちが多くなっていったそうです。
そのため、プッチーニはどうしても時代を1830年代初頭に持っていきたかったんだろうな。

【「らしい」ボエームといえばこれ!】

出演: ストラータス(テレサ), カレーラス(ホセ), スコット(レナータ)
やっぱり、声だって大切だけれど、オペラだってビジュアル大事。 みていてしみじみ「らしい」なあと思えるのがこちら。
演技派ストラータスとせつないカレーラスが絶品

【Boheme:Vol.4】もうひとつのボヘミアンな名前物語 ネタ編

その名前を聞いただけでどんな人かイメージすることがありますよね。小説などでも主人公の名前は、そのキャラクターや物語に合わせて付けられているように思います。
そして、やっぱりオペラの登場人物も、そのキャラクターを意識した名前が付けられているようですよ。

ミミの本当の名前は「ルチア」ということはもう良いですよね?
ルチアとは、ラテン語のLUX(光)、古代ローマでは「夜明けの最初の光の子」に名付けられる名前だそうです。
ミミのアリアでも言いますよね。「4月のはじめての(太陽の)口づけは私のもの!」。本当にそのまんまですね。
理解されている名前の印象としては、おしゃべりで時折空気が読めてなくて、恋にちょっとあぶなっかしい……
とってもチャーミングな名前のようです。

そして、その恋人のロドルフォなんですが、こちらはドイツの古い名前、Rudolf(Rhood-Wulf) そう「栄光に満ちた狼」。戦場の勇者であり、王者の名前です。印象として、夢多き理想家でありながら激情家、繊細な心を持ちながらも大胆な冒険をする活動家に与えられる名前のようです。

このカップル、これはなかなか大変な大ロマンスの起きる名前ですよね。 オペラの中でも、モミュスのシーンで、ちょっとミミが空気を読めないでマルチェッロをイラっとさせたりもします。そして、ロドルフォの夢多き夢想家ぶりと来たら!
また、狼の属する夜には朝日は属すことはできないのです。(悲)

若い画家
Photo by Antenna

さて、もう一組のカップル。 ええそうです。 ムゼッタとアルチンドロヾ(^_^;;  違いました、ムゼッタとマルチェッロです。 こちらも名前でみる相性診断がとっても面白いことになっています。

本名が判らないので、ムゼッタはそのままムゼッタで判断するしかありません。牧歌的なワルツ、また、その楽器としてのミュゼット、というお話は前回致しました。
ところで、もう一つの名前の読み解き方もあるんです。
ムゼッタの語尾の「ッタ」は、「可愛い◎◎ちゃん」というように愛称化するときに付けるものです。となると、ムゼッタは「可愛いムーサちゃん」となります。ムーサといえばギリシャ神話の「ミューズ」ですね。
そう、芸術や詩の女神です。美人でキュートで自由。
確かに、ムゼッタは詩のインスピレーションの源泉そのもののです。もしかして ロドルフォと恋に落ちていたらとんでもない事になっていたかもしれませんね(笑;;;;

片やマルチェッロ君。

お分かりになる方もそろそろ出てこられたかしら? ローマの軍神マルテ(マルス)を語源とするマルクスからきた、小さなマルクス。これはラテン語でMarcellus(マルチェッルス)「小さな金槌」を意味するようになって、やはり戦いを連想させる、ローマ貴族の名前となります。
名前の印象として、繊細で慎重だが、一度信頼すると一気に愛情深くなり、現実より理想の世界を愛する、となっています。たしかに マルチェッロってそんなところありますよね。

となると、どう考えてもこのカップル、上手く行く筈ないんですよね
ミューズの娘と軍神の子ですから……
とはいえ、短い間、インスレーションを与え合うという意味では、瞬間的な激しい恋愛感情をかき立てられる相手の様です。モミュスで再会した際、マルチェッロは「セイレーンよ……」と呼びかけます。やっぱりムゼッタは歌そのものなんですね。(セイレーンは、ある説では、ムーサの娘とも言われています。あくまで一説ですが)

ムゼッタは言います「マルチェッロは私には『たまに』とっても必要になるの」
あら ずっとじゃないんだ……(´・ω・`)

せんだって、とあるイタリア人に「ねえ、ショナールっていう名前を聞くと、どんな印象もつ?」と聞いてみたところ、「そうね〜 なんだか『へっぽこ』っていうような感じを受ける名前なのよね。」つまり、ショナールという名前そのもので「へっぽこ音楽家、少なくとも一流じゃあない」みたいな印象を受けるのだそうです。
(^m^) そりゃ、ラッパの「レ」も違うはずです。
そのファーストネームが前回も書いた様に「アレクサンダー」です。ギリシャ語の「Aléxandros」ですが、これは動詞の「Aléxein(保護する)」と名詞の「Andròs(男)」の組み合わせ。もうどう見ても大王様の為の名前ですよね。ただ、この名前のもつ性格というのは、案外熱狂的で落ち着きがなく、プライドが高く自信家、そしてあらゆる冒険に飛び込む…… ああ、居ますね。 こういう人。 面白いですが騒々しい。熱量が高そうな名前ですね。
偉大なファーストネームとへなちょこな姓の組み合わせ。これだけで、ずっとふざけ続けているショナールの人柄が判るような気もしますよね。

コッリーネについては、前回あらかた書いてしまったので、あまり残っていないのですが、グスターヴォとは、「ゴート族の大黒柱、首領」の意味を持つ、スウェーデン起源の名前で、その名の通り、君主に多いそうです。
持っている名前の性格でも、大地に足をおろし眼差しを天に向けるもの、と言われています。大掛かりな計画を立てることを愛し、実行すると。  同じ大王でも、騒々しいアレクサンドロスとはちょうど反対に居るようですね。
やはり4人の中でも 一番肝が据わっているのかもしれません。

【名前の話はここには載っていませんけれど…】

名作オペラブックス(6)プッチーニ ボエーム
2005年に発売された、オペラファンにとってはめちゃくちゃ有能なサポートブックでした。
現在は さすがに絶版となってしまったので、図書館か古本で探すしかありません。
それでも リブレット(まあ、改訂版が出ちゃっているものも多いんですが)やト書き、当時の裏話など、とても興味深いネタはたくさん掲載されている本です。どこかで見かけたらぜひ手にとってみてください。

【Boheme:Vol.3】ボヘミアンな名前物語

少女 ミニヨン
Photo by cottonbro

「私、皆に『ミミ』って呼ばれていますの。 「でもね、本当の名前はルチアって言うの。」
「何故ですって? 知らないわ。」

オペラをお好きな方たちにはあまりにも有名なアリアですね。
ルチアがどうしてミミ?? と思った方もいらっしゃるのではありませんか?

ミミとは「mignonne(ミニヨンヌ)」の省略形です。
あら、「君よ知るや南の国」かのゲーテのミニヨンと同じですね。
「おちびちゃん」とか、「可愛い子ちゃん」というようなニュアンスの呼び名で、日本なら「ポチ」とか「チビ」って、子犬につけたりしますよね。そんな感じでしょうか。小柄で可愛い女の子のイメージですね。

ムゼッタもどうやら本名ではなさそうですよ。
フランス語ではミュゼット「musette」となります。
ミュゼットって、フランスの民族楽器でバグパイプみたいなものがあります。つまりバグパイプ娘さん。
私が昔聞いた時は、ピーピー煩い娘だから、という、2幕のシーンを基準に名付けられたって言われたのですけれど
もうひとつ、その楽器のための音楽やダンスも意味するそうです。主に三拍子で、牧歌的な、ちょっぴり田舎っくさいワルツ、といったところのようです。
ムゼッタって、やっぱりワルツなんですね。女性陣は皆さん本名ではなく、通り名だった訳です。 ここにもちょっと秘密がありますけれど、それはまた別の時に。

ところで、名前といえば、ボエームの主役達、つまりボヘミアン生活をする若者達—ロドルフォ、ショナール、マルチェッロ、コッリーネ… こちらもちょっと面白い組み合わせです。ロドルフォとマルチェッロは、すぐにわかりますね。
フランス語ではルドルフとマルセル。あきらかにファーストネームです。「ルドルフ」はええ、もちろんサンタクロースのトナカイ…じゃなくて 高地ドイツ語の名前「勇猛な狼」を意味する英雄や皇帝の名前です。マルセルはもちろん「軍神マルス」が語源といわれています。 ふたりともすごい名前ですね。

ところで、残りのふたり、コッリーネとショナール。こちらは、ファーストネームではありません。姓の方です。まあ、日本でも友達同士でファーストネームで呼ばれる人と苗字で呼ばれる人がいますよね。 その感じでしょうけれど、
ちょっとファーストネーム、知りたくありませんか?

まず、コッリーネ(コルリーネとコッリーネのちょうど中間の発音です。コ「ッ」っていってる間にちいさく「ル』と言います。難しいですね。)名前はリブレットにありました。
リブレットは、スタンフォード大学のライブラリーで見つかります。

その第二幕の最初に
「グスターヴォ・コッリーネ、偉大な哲学者……」 とあります。
なんと!こちらもまるで王族のような名前ですね。
つづいて「画伯マルチェッロ、大詩人ロドルフォ、大音楽家ショナール…… 彼らは互いにそう呼んでいた–」とちょっとシニカルな書き方をしています。

そうでした。もうひとり、名字の人が居ました。
そう、ショナールです。彼もファーストネーム、ありますよ。
コッリーネのグスターヴォもけっこうびっくりなんですが、ショナールが、なななんと、

アレクサンドル・ショナール……

イタリア語だと、アレッサンドロですね。意味はギリシャ語の「男達を庇護する者」戦士の守護者ヘラの称号でもあったようです。実際に、モデルはミュルジェの友人、アレクサンドル・シャンヌだそうでいい加減につけた名前ではないんですが、アレクサンダー大王の名前を頂いています。

4人とも素晴らしく立派な名前を持っていたのですね。

若者たちは、すべからく勝利者の名前を持ち、娘たちがふたりとも通り名を使っている。これがボエームのひとつの秘密になっています。

【がっつり読み込むととても面白い】

名作オペラブックス(6)プッチーニ ボエーム
2005年に発売された、オペラファンにとってはめちゃくちゃ有能なサポートブック。
現在は さすがに絶版となってしまったので、図書館か古本で探すしかありません。
それでも リブレット(まあ、改訂版が出ちゃっているものも多いんですが)やト書き、当時の裏話など、とても興味深いネタはたくさん掲載されている本です。どこかで見かけたらぜひ手にとってみてください。

【Traviata:Vol.1】ドゥミ・モンドのこと

今回はドゥミ・モンドのことについてちょっと書いてみましょう。
この話を書いておかないと先にいろいろと進めなくなってしまうのです。


ドゥミ(半分)モンド(世界)
フランス語で「半分の世界」という意味になる言葉ですが、実はけっこう新しい言葉なんです。それも 誰あろう、アレクサンドル・デュマ・フィス(息子)が、1855年に発行した小説のタイトルとして創った言葉とのことです。ってことは、その頃、実際にはそう呼ばれてはいなかったっていうことですよね。また、わざわざそういう言葉を作った、ということは 今までの社交界とは違うものがそこに確実に存在した、ということになるのだと思います。

では、半社交界、ドゥミ・モンドとは一体何だったのでしょう?

日本語だと 半というより、裏社交界と言った方が判りやすいかもしれないですね。

1830年の七月王政から48年の王制崩壊、共和制になるちょい前の15〜6年くらいの間、その前に興った産業革命ともあいまって、フランスは前代未聞のバブル(土地バブルではなく、投資バブルですね)に浮かれまくります。こうなると、なにが興るか!?

極端な貧富の差の誕生です。

日本のバブルはあっという間にしぼんじゃったので、そりゃあ大変だったけど、それでも案外傷は浅かったのですが、このバブルは15年もつづいたのです。
けっこう大きな傷跡残してくれました。

突然の貨幣経済により、土地からの収益のみで成り立っていた貴族達は没落し、突然大量の資産を手に入れた裕福な市民階級がその称号を買い取り、新興貴族となります。
その彼らの周りにいたのは、時代の徒花として存在した特殊な女性、お待たせ致しました!「クルティザンヌ」たちですね。
高級娼婦とも呼ばれますが、美貌だけでなく、高い教養やそのセンスの良さを誇り、誰かの愛人として囲われることなく何人ものパトロンを持ち、湯水のようにお金を使います。
ええ、自分で苦労して稼いだお金ではありません。他人のあぶく銭ですから、もう親の敵のように派手に使いまくりました。
パリの中心にアパルトマンと自分用の馬車を持ち、自ら月に数回も華やかな舞踏会を主宰し、劇場に通います。まあ、羨ましい(<違)

中でも野心的なクルティザンヌのうちには、財産を築いたり店を持ったりして生き抜いた人も居ますが、共和制以降は気の毒な事になったようです。
当時の人気クルティザンヌの写真は、ブロマイドとしてかなり売れたようです。ってことは一般庶民の憧れ、今ならさしずめレディ・ガガ様や浜崎あゆみの様な大スターでしょうか。

そういった、クルティザンヌや、新興貴族、ブルジョワジー達によって構成された社交界のことを、王族、貴族による本来の意味での「社交界」に対して、ドゥミ・モンドと名付けました。

ヴィオレッタのパーティに集う人々をご覧くださいまし。
本来の重要な貴族達(まあ、かなり革命で消えちゃいましたせいか)公爵や伯爵はあまり見かけません。
男爵や子爵といった、割と爵位の低い貴族が揃っていますが、皆さん羽振りはよろしそうですね。
このうち、特に家臣から発生した「男爵」という爵位は、簡単に金銭による売り買いの対象になりましたから、ドゥフォール男爵って、ちょっと新興の成り上がり貴族のようにも思えます。
ああ、貴族の「階級」のお話も面白いのでいずれまた。

ところで、ヨーロッパでは「ちゃんとした女性」が、パーティの席でお酌をすることはあり得ないんだそうです。
あくまでもそのための僕か、それが居ないときは主人役の男性が行います。
一幕で『ヘーベーを見習ってお酒を注ぎましょう』とヴィオレッタがお酒をついで廻りますが、こういうことをやっちゃうのが、女主人が「普通の夫人」ではないドゥミ・モンドのパーティ。
そこに居るのは、貴族の皮をかぶった平民、貴婦人のドレスをまとった、やっぱり娼婦達。ちょっとぞくぞくしませんか?

当然、趣味の良さを身上としますので、豪華さも華やかさもうわべの上品さも貴族のそれとは全く見劣りがしないはずです。
ただ、どうしても長い年月をもって培われた貴族達とはどこか違う、何故かちぐはぐでいびつな世界。これがドゥミ・モンドです。

【お酒注ぐシーンが印象的。美しいヴィオレッタが素敵!】

DVD ヴェルディ:歌劇「椿姫」日本版が廃盤になっていて残念です。 字幕はないけれど一見の価値はあります。
アンジェラ・ゲオルギューの出世作。 とにかく美しかったです。
サー・ゲオルク・ショルティの指揮のもと、正確無比な音程で見事に情感を描き切った素晴らしい若く気高く美しいヴィオレッタでした。

【とにかく演出が美しすぎる。まさにドゥミモンド】

こちらも日本版が廃盤になっていて残念…
ゼッフィレッリのあまりにも有名になってしまったトラヴィアータ。
美しいことこの上ない映像と、このために多大なダイエットをした結果、ナイーヴで繊細な美青年となったドミンゴが思う存分夢をみさせてくれます。

【こうもり:プロローグ】De Noël à Paris♪

ヨハン・シュトラウスIIの名作「こうもり」と言えば、1870年頃のウィーンが舞台。大晦日のバカ騒ぎ…

実は原作では「パリ」「クリスマスの夜」なんです。その原作って「Réveillon(イヴのどんちゃん騒ぎ)」アンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィによって「パリを舞台に」フランスで「戯曲として」出され成功しています。(実は、この原作本には、プロイセンが舞台となっているネタのお話があるようなんですが、エッセンスが全く違うのでここでは黙殺しますね)

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Photo by Craig Adderley

1870年頃のパリが舞台、ということは、登場人物たちの設定にとっても大きな意味があります。

フランス革命から始まる、度重なる政治崩壊と再生の結果の「貴族階級の崩壊」「ブルジョワの隆盛」がここらへんで関わっていますね。アイゼンシュタインは貴族ではありません。モーツァルトの時代でしたら、こういう浮気な夫は貴族や領主です。銀行家ではなかったはずです。そして、平民である銀行家が外国の、とはいえ、王族につながる大貴族のパーティーに出席しているというのですから、ちょっと前ならありえなかったお話。そして、教会を否定した革命を経たパリでは、クリスマスそのものの存在が変わってしまっています。

ただ、オペレッタとして作曲されたのは、もちろんパリではありません。革命を経ていない上に、なにせマリア・テレジア様の遺訓だだしく、けっこうお堅い性格のオーストリアのことです。
おまけに劇場から歩いて30分もかからないところには、かのザンクト・シュテファン大聖堂が。非信者には単なるでっかくて黒い教会ですけれど、司教座聖堂、つまりカトリックの大司教の御座所におわします。クリスマスにこんなチャラチャラした事は許されません。(当然ですね。)

ってことで、別にクリスマスじゃなきゃありえな〜い!と言う程の事もありませんので、年末のどんちゃん騒ぎになった次第のようです。

【こうもり見るなら絶対この版】最高の美声の主、プライが 酔っ払ったいきおいみたいなノリノリアイゼンシュタインを演じれば、テ・カナワが多言語で切り返す、ドミンゴが楽しそうに指揮をすれば アズナヴールがゲストとして出演。 とにかく贅沢ざんまい。ひたすら楽しめる一枚です。

J.シュトラウス 喜歌劇《こうもり》全曲 DVD
出演>ロザリンデ:キリ・テ・カナワ/ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:ヘルマン・プライ/夜会のゲスト(第2幕):シャルル・アズナヴール(シャンソン歌手) メール・パーク (英国ロイヤル・バレエ)ウェイン・イーグリング(英国ロイヤル・バレエ)他
指揮:プラシド・ドミンゴ/演奏:コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団

【Boheme:Vol.2】カフェ・モミュスに行こう!

Cafe de Paris
Photo by Daria Shevtsova

舞台になった、カフェ・モミュスなんですが、実はThomas Boysという画家がスケッチを残しています。
ケンブリッジ・オペラ・ハンドブックの表紙にスケッチの一部が使われているので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれないですね。
画像検索でしっかり見つかりました。

壁にちゃんと「カフェ・モミュス」とあります。ビリヤードっていう文字もみえます。

こちらの絵は複製画を14.9ユーロから(税込み)で購入できるようです。よろしければおひとつ……

う~ん。 実在したのですねえ……だけど、なんだかちょっとイメージは違う雰囲気はします。
場所はどこでしょう。水彩画の方の説明には、Rue des Prêtes, Paris とあります。多分、これは住所でしょう。

地図を広げて調べると、その通りの名そのものは既に見つからず、3 Rue des Prêtes Saint-Severinと言うところにサンセヴラン教会があります。カルチェラタンの近く、サンジェルマン通りのすぐ北、イル・ド・フランスといわれる地域です。

ちょっと微妙だなあ…… と思いつつ、ト書きを読んで行くと、色々と通りの名前が出てきますね。

市民達が「Via Mazzarinoに行こう!さあ、Cafe Momusへ行こう!」と言います。(ヴォーカルスコア98ページ)
パリの場合、Rue Mazarine(マザリーヌ通り)でしょうか。
地図を広げてみると、ああ、ありました!マザリーヌ通りにムゼッタが立つ(116ページト書き)と、ドフィーヌ通り(106ページ)との交差点を挟んだその向うの旧コメディ通りにパルピニョールが去ってゆきます(110ページ)。
そのちょうど5つの通りがちょっと変則的に交差する角には まさにこんな感じ!というカフェが両側にあります。
Le Buci とLe Conti…… あ、ちょっと惜しい!モミュスじゃないっ!!(笑;;;;

それでもその辺りはまさに カフェ・モミュスのイメージにぴったりですね。
実は、別のルートから、モミュスのあった場所が判りました


17 Rue des Prêtres-Saint-Germain-l’Auxerrois だそうです。

関係者の家やモミュスの場所を入れたGoogleMapを作って、公開しておきましたので、興味のある方はどうぞ。まあ、リアルに場所がわかったからってどうってことはないですが(笑;;;
だけど、これで見ると、モミュスって、ポン・ヌフを超えて、対岸にあるんですね。

ところで、オペラの中に登場するカフェ・モミュスのモデルには、もう一つ、プッチーニが当時滞在していたトリノのテアトロ・レージョ近くにある カフェ・ビチェリン(Al Bicerin)がそうじゃないかという説もあります。
創業が1763年とのこと、少なくとも初演を前に準備が忙しかったプッチーニが通っていた事は想像に難くないでしょう。

–イタリア人ですもの、3歩歩いたらバール寄りますからね。(^m^)–

ひょっとして、音楽のイメージの中に このカフェが反映されているかもしれないですね。

ところで、ここでクイズをひとつ。

実在の4人の若者達(当時「四銃士」と呼ばれていたそうですよ)をモデルにした、ロドルフォたち4人。カフェ・モミュスへは、このクリスマスの晩に「A:実は初めて行った」いえいえ、「B:何度も行った事がある」

さてどっちでしょう。

応えは「B:何度も行った事がある」です。

え? だってボーイが持ってきた会計書見て「高っ!!!」って叫んでいましたよね。自分たちの懐具合も値段もわからないでモミュスに繰り出していったって??

そうなんです。そこんところについてもリブレットにはちゃんと書いてあるんです。
「彼らは、何度もモミュスに出かけ、請求書を受けても払う事もなく出てくるところも一緒で……」
のどかな時代なんでしょうか。

確かに、今回もそれなりのお金をしっかり手に入れてモミュスに行った筈なのに、コート買ったり、ボンネット買ったり、そもそも先に全部使っちゃっていましたよね。

ちなみにビチェリンとは ホットチョコレートにコーヒーとクリームを泡立てたものだそうです。せんだって、念願叶ってトリノへ行くことができましたが、悲しいことに、カフェ・ビチェリンは定休日でした。

【確認したくなったら…】

【まずはヴォーカルスコアから】

プッチーニ: オペラ「ボエーム」/リコルディ社/ピアノ・ヴォーカル・スコア

【対訳はご入用ですか?】

言葉を話せてもけっこうめんどいのがオペラの歌詞。韻文の美しさをどのように訳されているのかを楽しむこともできます。

【Boheme:Vol.1】はじまりは、4月8日

さて、ボエームの原作についてちょっとお話しておきましょう。

アンリ・ミュルジェール作、『ボヘミアン生活の情景(Scenes de la Vie de Boheme)』が原作です。戯曲としては1849年、小説としては1851年に出版されました。ちょうど王政が廃止され、第二帝政が始まるまでのはかない第二共和制の時代に出版された本です。

そして、1822年生まれのミュルジェールの自伝的青春小説で、登場人物もみな、実在のミュルジェールの友人たちがモデルになっているようです。(ええと… 簡単な引き算です。戯曲の出版時、27歳の若者だった、ということは押さえておきましょう)

ボヘミアンたちの物語はこうはじまります。

『ある朝、—それは4月の8日のことだった—』

若い詩人
Photo by Kulik Stepan

オペラの1幕目と同様、ショナールの部屋(マルチェッロの部屋ではまだありません)へ大家が家賃を取りにくる日の朝のことでした。そして、あとから来たマルセル(マルチェロ)が『1840年の4月だ』と言われるシーンが続きます。

ということで、「1840年の4月8日」にショナールがマルチェロ、コッリーネ、ロドルフォと出会うのです。
そう、1840年が原作の舞台です。前回、オペラ「ラ・ボエーム」の舞台は1830年代初頭と書きましたよね。何故、10年も時間が戻っちゃったんでしょうか?
その事については、また別の時にでも。

ところでところで、ロドルフォの仲間は実はあとふたりほど居たようです。
詩人ロドルフ(アンリ・ミュルジェール本人)、音楽家ショナール、画家マルセル、哲学者コリーヌの他に、彫刻家ジャックとジャーナリストのカルロスという二人の仲間たち。

このうち、彫刻家ジャックは、オペラの「ロドルフォ」のもうひとりのモデルとなります。

まあ、一緒に屯していたのが、ロドルフ、ショナール、マルセル、コリーヌの4人なのですから(一緒に住んでいたのは、ショナールとマルセルです。ショナールが家賃を払えずに追い出されたあとに住んだのが、パトロンからお金をもらったマルセルなのです。)4人がどうしても中心になってしまいますよね。6人もボヘミアンたちが居たら、きっと舞台の上はめちゃくちゃ狭かったでしょうし、合唱メンバーがモミュスに入ることができるスペースはもう残らなかったかもしれません。

ショナールにだって、フェミという名前の染色職人の恋人がいたんです。振られちゃったけれど。
ジャックにも、もうひとりのミミのモデルとなったフランシーヌという恋人が居ました。「恋人」についていえば、皆さんけっこう賑やかでしたよ。別れたの戻ったの、別の恋人ができたのと大騒ぎです。

コリーヌだけは、実は賢いのか恥ずかしがりなのか、こっそりと隠していて、みんなに紹介したり、一緒に連れてきたりはしなかったようです。 賢明ですね。

あとの3人はいずれも破局しまくって大騒ぎしまくっていましたから、さすが、哲学者、よくわかって………… いたんでしょうか??