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【Traviata:Vol.5】称号な貴族のみなさん

貴族の館の写真。パーティなどはこのような広間で食事が提供されていたようです。

オペラの中には、よく色々な貴族の称号や、身分を明確にしているものがあります。例えば、『椿姫(La Traviata)』では、少なくとも、侯爵(ドビニー)、男爵(ドフォール)、子爵(ガストン)の3人の貴族が登場しています。
原作とは違うところがあり、そして、それぞれの称号が、とてつもなく趣深いものだなあ、と感じることがありましたので、それも合わせて貴族というものをちょっとまとめて見ましょうか。

貴族制度といっても一概には言えないものがあります。古くは、ローマ帝国の元老院議員達、彼らも貴族でした。ただ、中世以降の貴族とはちょっと様子が違うのでこちらは今回は省いておきます。

まずは、貴族の成り立ちから。 

それはそもそも、中世の騎士達による飽く事なき戦いの時代から始まります。 時代でいうと、カロリング朝フランク帝国のシャルルマーニュ大帝(742年- 814年)の頃です。
まだその頃は国としてのまとまりは薄く、それぞれの族長のような騎士達の中で最も人望が厚い人間が王となります。勿論、王そのものの力はまだまだ弱かったのです。

それが少しずつ,王を中心とした強い集団となって行くにしたがい、国力も上がり、中央集権もなされてきます。そういった中で、王に忠誠を誓った騎士が、その忠誠の見返りに『領地』を与えられたことから、現代に連なる貴族が始まります。

つまり、貴族って『領地』が基準となっているのです。ここ大切。

土地を治める貴族の事を『伯 “Graf(グラーフ)”、“またはCont(コント—お笑いのことじゃないですよ)”』と呼びます。つまり「貴族」と呼ばれる家系は伯爵がスタートラインになっているようです。

更に、辺境地域、つまり国境地域を治める「伯」は、もう一つ上の格として『辺境伯 “Markgraf(マルクグラーフ、またはマルキ)”』と呼びます。
何故って?辺境地域は、中央部より大変なんですよ。

なにせ、国々の国境はまだ完璧に出来上がっていない上に、すぐ隣には他国があります。だいたい昔から、隣りの国とは仲が悪いと相場が決まっています。領土の取り合いやらなにやらでしょっちゅういざこざを起こす訳ですから、信頼が置ける人をそこへ配し、苦労の代わりに高い地位を与えた訳です。

一方、ものすごく面倒なことに、中世ごろの忠誠や命令系統のあり方というのもまたややこしい。一人の騎士が複数のお館様に士官する、姻戚関係があるということも多く、自分の部下の率いる部隊の騎士誰もが王に直接忠誠を誓っているわけではない(領土くれたり年金くれるわけじゃないですからね)ため、王はそれらの騎士達への直接命令権は持っていません。
‥というのを、本当は押さえておきたいところですが、話がまとまらなくなっちゃうので、今回は華麗にスルーいたしましょう。

この辺境伯が、時代が下るにつれて『侯爵 “Margrave(マールグラーフ)”』とになります。ま、そこら辺はざっくりすぎて申し訳ありません。国ごとに状況は違い、ドイツ(神聖ローマ帝国)あたりではまた違った動きがあります。

貴族というと、豪華なレース飾りに、馬車に舞踏会に……とついつい考えてしまいますが、本来は、国と王を守るための軍人であることが第一義です。

華やかな王侯貴族の誕生

更に時代が下がってくると、貴族も色々と拡大します。そして、騎士(武人)であり、王も部族を守るという立ち位置より、民を治め国を発展させるリーダーとしての役割へと変化していきます。この辺りから、貴族も武人より宮廷人としての意味合いが強くなってきます。

まず、王族の庶子達には、侯爵よりも上の位が必要となります。やはり身内は大切にしたいものです。
ローマ帝国最高司令官の官職の流れを汲んで、彼らに与えられた称号が『公爵 “Herzog(ヘルツォーク)”、または“Duc(デュク)”』です。

上から、王家の下に、公爵、侯爵、伯爵が揃いました。

そして、伯爵家の「副官」の地位にあると言う意味から『副伯』つまり 『子爵 “VisCount”』が派生します。勿論、国ごとに多少の違いはあります。
例えば、オーストリー帝国では「副伯」の地位はなく、「城伯」となります。

この子爵という称号には、基本的には領土が付随しません。
大体が、伯爵家の跡継ぎ(嫡男)による、『家督を継ぐまでの見習い期間の称号』という位置付けだったようです。つまり、子爵というのは、大人になったのだけれど、いつまでたっても(父親が現役のため)爵位を持てない青年貴族たちに、将来があることを保証しているようなものでしたが、その称号のままで相続による領土を持ったり一族をなすことも出てきました。

ということで、椿姫におけるガストン君は、将来的には伯爵になるご予定の嫡男ということか、または、あの呑気さを考えると、後を継げなかった嫡男の家の息子あたりかもしれないですね。資産を産む領土がないので、本来は収入はありませんが、バックに領土を持つ伯爵が控えている、または、なにかしらの収入手段を自分で持っているということが考えられます。

立ち位置の難しい男爵さま

最後は『男爵 “Baron(バロン)”または、“Freiherr(フライヘル)”』です。

これがまた面倒。子爵と違い、フランスでもドイツでもイギリスでも存在する爵位ですが、国ごとに成り立ちは微妙に違いますが、ざっくりとまとめると以下のようになります。

中世において、他の領主達とは違い、国王の直属の臣下として、自分で土地を有していたり、自由民の中で資産を形成した人たちの中から役職を持つような人たちを指す階級となりました。その後の中央集権が進む中で、いつの間にか同様に職や力を持った人たちとひっくるめて『バロン』と呼ぶようになったようです。
バロンは日本語においては『男爵』と訳されていますが、実際は日本の男爵とは大分様相が違うようです。

また、ドイツのFreiherrあたりは、少領主という扱いになっていて、他国のバロン達と比べると、更にもうひと段階下のクラスになります。

フランス革命なんかよりはるか昔から、男爵家といえば、お金がない。それはこの、領土を爵位に合わせて受領するのではなく、自分で稼ぐ、または自分で持った領土とは別に士官する必要があることが関係していると思われます。

ロッシーニの『チェネレントラ(シンデレラ)』の家も男爵家でしたね。もう、チェネレントラ(灰被り姫)ことアンジェリーナの持参金も使い込んでしまった貧乏男爵です。ここでよくあるのが、フランス革命前後に勃興したブルジョワジーたちが、婚姻や他の手段をもって身分を手に入れる、そうです、お金が入ったら次は身分ということで貴族の称号を手にしたくなった人たちによって血統の入れ替わりなどが起きています。

椿姫で登場する男爵は、そうです、ヴィオレッタのパトロン、ドゥフォール男爵です(バローネとしか呼ばれませんが)。そして、原作のデュマ・フィスの小説『椿をもった女性』ではそのお役目は公爵様でした。たしか、実在されたマリーさんのパトロンは伯爵でしたっけ?

このバロン、お話を通して見てみると、なんだかけっこういい人ですよね。駆け落ちされた挙句に、戻ってきたいという願いを受けてヴィオレッタをもう一度支援する。その上にヴィオレッタを侮辱したとして決闘をして怪我までしている‥。椿姫と決闘ということについては、ちょっと置いておきますが、どうもこの人のこと、嫌いになれないです。なんとなく、お金をたくさん手にして、男爵という身分も手に入れた、つまり、このドゥミ・モンドの世界からしてみれば、ちょっとこなれていないようなところも見受けられます。

称号貴族なあやしい人

その反対側にいるなぁと思うのがドビニー侯爵です。
こちらも舞台では「マルケーゼ」としか呼ばれませんが。椿姫の登場人物で一番高い身分を持った貴族です。
勿論、フランス革命を経たフランスの貴族ですから、どの程度の資産を持っていたかはわかりませんが、革命後のドサクサをうまく立ち回っていた場合は、先祖から譲り受けた資産を持っていた可能性もありますし、王政復古の折に元々持っていた領地を取り戻した可能性もあります。リブレットの端端に見られる言葉から、かなりの資産を持っていることは感じられます。

その上、この方、お家柄がいいだけのお坊ちゃんとは違い、ちょっとばかり胡散臭さも感じられて、とても楽しいです。どう見てもこのオペラの中で催される、ふたつの舞踏会を牛耳っているのはこのお方にしか見えないところがあるのです。今度フローラと侯爵の二人についても書いてみようかと思います。

【ちょっとびっくりな椿姫】

「椿姫」の中でも最近見た中で一番なんだかいろんな面で納得しちゃったDVDです。
好き嫌いはすごく出そうな気がしますが、とにかくすごい。アンニーナがとにかく上手い(そこ?)。というより、現代演出の嫌いな私が、これはこれで「あり」なんだと思ってしまった作品なのでここでご紹介して見ました。デセイには確かにヴィオレッタは荷が重い。でも、キャラクターの把握はとにかく深い。そして、侯爵さまの怪しさったらもう(笑;;;; いや、そこじゃない。

コルティジャーナの系譜

【Traviata:Vol.4】高級娼婦の系図

コルティジャーナの系譜

なんだかずっとクルティザンヌにこだわっているようなんで恐縮ですが。

かのオペラ研究家、故永竹先生が書かれたご本で『オペラになった高級娼婦〜椿姫とは誰か〜』というものがあります。
その中で先生は高級娼婦文化は人類史上3回のみ発生していると仰っています。

■一回目■

古代ギリシア。 アテネでは貴族達が哲学の話をするサロンに集まることがいちばん「イケてる」ことでした。半裸の男性が酒飲んじゃ哲学談義ってどんな状況なんでしょうか、流行ってる時はとにかくそれが一番かっこよく見えるんでしょう。
通常、そういうところは細君であっても女性の立ち入りは禁じられていました。そして、唯一、『ヘタイラ』と呼ばれる高級な遊女のみが立ち入れたということが残されています。
まあ、かつての永田町あたりでは赤坂の高級料亭で政治が行われ、そこに立ち入れるのは芸妓と女将という『プロの女性』だけ、というようなところでしょうか。

さて、一方、アテネ市民とは『アテネ市民との婚姻で産まれた子供』しかなれません。
そのため、女性を

  1. 嫡子(市民)を産んで育てる役割の正妻
  2. 通常の身の回りの世話をする側室
  3. 正妻を持つ事ができない貴族以外の男性を平等に面倒見る娼婦
  4. ヘタイラ

とわけたそうです。

ヘタイラとは『外国人であり、美貌と教養を持ち、子供の世話や日々の世話をするようなことにとらわれず男性と同等の知恵と知識を持ちサロンにつれて歩ける女性』という存在だそうです。元々の言葉の意味も(連れ)という意味から発生したと言われています。なんでまた「外国人限定」なんでしょうね。
さて、ローマではどうしてこういった文化が残らなかったのでしょうか?

それは「異民族の集合体であること」と「女性が強かった」から。

サビーヌの略奪の歴史に見るように、自分の夫を守るために父や兄の軍隊の前に飛び出す勇敢な女達が居るくらいです。
ギリシャ型正妻なんざ、やってはくれません。
なので、アテネ没落後はヘタイラ文化は消えました。

さらにローマがキリスト教化されることで自然神崇拝のおおらかな人々を、キリスト教的戒律で雁字搦めにしたお陰で、女性はあくまでも原罪として表舞台にできるだけ出ないようにされてきたのです。

それなのに二回目がある。 どこで?

■二回目■

それは『ルネッサンス時代のローマ』です。なんと!仇敵、キリスト教の総本山で発生するのです。

『コルティジャーナ』。
クルティザンヌの語源ともなる言葉で、『宮廷貴婦人』とでも訳しましょうか。
法王庁で当時多くの人文学者や知識階層があつまり自由な討論が繰り広げられたのですが、さすが法王庁は(裏はどうであれ)完全な男社会です。

また性懲りもなく「なんだかオトコだけじゃあどうも殺風景だねえ。」って誰が言いだしたかは知りませんが、やはり女性を配しましょう!ということになりました。

参加者の夫人や娘達はそれなりに教養はありますが、さすがに独身だらけの法王庁サロンには出入りしにくい。
そうなると、知恵を絞るモノには天啓がくだされるのです。

そうだ!古代のヘタイラを復活させよう!!
だって、『ルネッサーンス』だもんね。

かくして、庶民の中で美貌(なんで必要なんかな……)と頭脳が明晰な少女達を選び出し、徹底して教育をして育て上げた結果、最上級の宮廷婦人、コルティジャーナが完成します。

彼女達はサロンに出入りする貴族達の愛人としてどんどん成功を収め、引退の年頃になる頃にはひとかどの財産を築き上げるものが多かったと言われます。

そのためどこかの国のステージママのように、自分の娘がちょっと可愛いとなると、やっきになってコルティジャーナにならせるべく目の色をかえるようになりました。

ああ…… 当然風紀が乱れますよね。 深読みしなくても。

そのせいとばかりは言えませんが、原因のひとつとして宗教改革の嵐が置き、法王庁からコルティジャーナ達は追放されます。
そして、宗教からも政治からも自由な唯一の都市、ヴェネツィアで再度花開きます。
ヴェネツィアでは、コート(宮廷)や法王庁はありませんので、自分の才覚だけでサロンを開き、そこであらたな文化を広めます。
塩野七生さんの小説「緋色のヴェネツィア」「黄金のローマ」では、この時代のコルティジャーナを重要なキャラとして扱っています。
歴史物で有名な塩野さんですが、この三部作は軽いミステリータッチの読み物としてもとても面白いのでお勧めです。

当然、ヴェネツィアの没落とともにその存在も消えて行ったのです。

■三回目■

これは言わずと知れた、椿姫の舞台となった1830年代〜45年頃のフランスです。
パリのクルティザンヌと比べると、前期2回の方がすごみがあったような気もしますが、きっとそれは社会の中で、他の手段をもって女性がのしあがる選択肢が増えてきた、ということになるかと思います。

日本の花魁、特に吉原や京都の島原の太夫にも通じるものがありますが、似て非なる最も大きなところは、花魁の所有権はあくまでも店が持っていたのです。

すべて三回とも、女性そのものの所有権はあくまでも、女性本人が持っていたということです。

【Traviata:Vol.3】ルイルイ♪は「太陽の金貨」

鹿島茂さんという方の「馬車が買いたい! (白水社 ) 」と言う本があります。

当時の生活ぶりを、「ゴリオ爺さん」や「レ・ミゼラブル」等の登場人物を通して解き明かしていてとても面白いです。

フランスではどの時代でも生活水準の目安となるものがパンの価格だそうです(へーーー)物価指針と言う奴ですね。日本の米価になるのでしょうか?

ちなみに、1キロのパンが8スー(4/10フラン)だったそうです。1キロのパン=バケット4本分にあたるそうです。

Fresh sourdough bread on farmers market

ざっくり省略しますが、それを試算すると、当時の貨幣価値がだいたい、1フラン1000円程度(著作が1990年で、重版が2009年、さてどちらのレートかしら?)になるそうです。

現在から見ると物価は多少上昇しているのですが(日本の統計局の物価指針を見ると、まあ、ものによってなんですが、ほんのちょっと高いです。あ、パンはやたら上がっていますが、フランスはそれほどでもないようです。)、判りやすいので、採用いたしましょう。

補助通貨はユーロになるまでつかわれていたものと同じ、サンチームです。(1/100フラン)

ただ、この頃は色々な時代のお金が平気で乱立していました。

たとえば、リーブル。(ベルサイユの薔薇ファンの方ならおなじみですよね)これは当時まだ現役です。

金貨の重さで言えば、本来は1フラン=1.0125リーブルにあたるのですが、フランの金の含有量が下がったため、1フラン=1リーブルとなってしまいました。

その、リーブルの補助通貨としてのスー(1/20リーブル)は、ボエームの舞台、カルチェラタンでは大手を振っていました。

そのほか、エキュ(1エキュ=3フラン)、ルイ(20フラン相当の金貨、当時はナポレオン金貨を指していたようですが、本来はアンシャン・レジームのルイ金貨を指します。)などが混在しています。

特に、ルイやエキュは単純に金貨・銀貨を指し、財産を意味したようです。

Photo by Public Domain Pictures

ということで……

さて、ここで気になるのが、アルフレードが賭けに使ったお金です。演出では よく懐から札束を出しているようなんですが……

100ルイを右へ、とか、左へ……というときの「ルイ」は金貨となるはずなんです。でも、金貨の袋持ってきていたんでしょうか?

実は、当時の賭博場では掛け札の代わりをルイ金貨がしていたから。つまり、現在でもカジノで使われるチップ、あのような感覚のようです。

つまり、100ルイを、という時は2000フラン(200万円)を出してというように……

ん?

わーーーー  ちょっと待った!!アルフレード。
どこからそんなお金持って来た!?

いえいえ、最初は、どれだけ賭けていたかは判りませんので、ホンの1ルイくらいから賭けてここまで増やしたのかもしれないですが……(それでも2万円だけれど)
何度も勝って、もしかして、男爵が賭けに加わった頃に、ちょうど手持ちが100ルイ位だったのかもしれません。

それでも少なくとも、男爵とのやり取りで300ルイ=6000フランは勝っています。その前の手持ちと勝ち金を合わせると、500ルイ=1万フラン(1000万円)くらいは持っていたのでしょうか。

ところで、1840年代、『紙幣』は100フラン・200フラン・500フラン・1,000フランの4種類が発行されていたそうです。

ただ、40年代に追加された100と200がこの時既にあったかは残念だけれど判りません。まあ500フラン札(5万円相当)を使ったとすると20枚程度になりますね。
ヴィオレッタの顔に叩き付けるにはどうでしょう? 多い?少ない??

ところで、たしか、アンニーナがアルフレードに不足分は1000ルイと言っていましたよね?  つまり、2万フラン……

たりないじゃん!

【馬車は貴族の必須アイテムです】

「椿姫」の中でも印象的なシーン、アルフレードが札束を投げる。でもそのお金、現在だったらいくらくらいかな?と思ってみると。
現在の各社界なんか吹っ飛ぶほどの格差社会のあの時代、必須アイテムを買うとしたら‥ ぜひぜひご購入をお考えの方はご参考に。。(なるか〜い!!)

クルティザンヌはお金がかかります

【Traviata:VOL.2】クルティザンヌのこと

Vol1から随分と時間が経ってしまいました。
前回は、ドゥミモンドと新興貴族のお話を致しました。これは儲けちゃってこまっちゃった人たちのお話でしたね。今回は「クルティザンヌ」のことを描いていきたいと思います。

クルティザンヌはお金がかかります
Photo by Marta Branco

ここからは「ラ・ボエーム」の『【Vol.5】グリセットのお話』で既に書いたことの復習です。
この時代、貧しかった労働者階級は更に貧しくなり、(フランス革命前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)娘達は田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。ここまではいいですね。

有り難いことに?フランス革命でキリスト教が断絶した時代の申し子たちの子供達、つまり、キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の2世代目です。身を売る事についての罪悪感の薄さったらありません。かくして、大勢の高級娼婦予備軍の娘達が誕生します。

この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、資産家の紳士や老いた貴族の当時の流行のひとつでもあった「自分が最高級の女を育てる」遊びの対象として選ばれて教育を受けさせてもらえます。

これって マイ・フェア・レディ、それともプリティ・ウーマンのようですね。いつの時代も男性の夢なんでしょうか?現代の紳士の皆様ってどうお考えなのかな?ちょっと問い正してみたいもんです。

まあ、それはさておいて、こうして美しさと知性と教養で溢れた上に、モラルの欠如した貴婦人が誕生します。 これがクルティザンヌの素です。この素が、花から花へパトロンを渡り歩き、自らの館と馬車とパーティを持つようになって一丁上がり、クルティザンヌが完成します。

ここらへんまでなんとなく「ラ・ボエーム」のミミとも似ていますね。そうです。ボエームはほぼ同じ時代のお話になります。
そして、ミミはここではクルティザンヌにまでは成り上がれない、気立ての良いグリセットでしたね。

完成したクルティザンヌたちは堂々と貴婦人として馬車を駆け、劇場にも顔を出します。

ただ、一つ行くことができなかったのが正式な社交界の場であり、正妻達のいるパトロンの自宅です。子供が産まれても、私生児としてしか扱われません。ヴィオレッタのモデルとなった マリー・デュプレシも最初の子供を私生児とされたことで初めての真剣な恋が壊れ、自暴自棄な生活に拍車がかかります。

その後、また別の機会に書こうと思いますが、もうひとつの本気の恋をしますが、それを成就させるために別の男性と結婚をして正規の身分を手に入れようともします。恋ひとつするために大変な努力をすることになるのです。

いやもう、マリーから見たら、アルフレードの腕の中で死ぬことができたヴィオレッタって羨ましい限りなんじゃないかしら。。。。

【不朽の名作は押さえておこう】

オペラのタイトルは「椿姫」ではなく「道を踏み外した女」です。それでも日本では「椿姫」と訳されて愛されているのは、ひとえに、アレクサンドル・デュマ(息子)の、この切ない小説のタイトルをそのまま持ってきたからです。ここではヴィオレッタではなく、マルグリット・ゴーティエと名前は変わり、純粋に恋したのはアルフレードではなく、作家のデュマ・フィス。こちらも一度は読んでおきたい原作です。

【Traviata:Vol.1】ドゥミ・モンドのこと

今回はドゥミ・モンドのことについてちょっと書いてみましょう。
この話を書いておかないと先にいろいろと進めなくなってしまうのです。


ドゥミ(半分)モンド(世界)
フランス語で「半分の世界」という意味になる言葉ですが、実はけっこう新しい言葉なんです。それも 誰あろう、アレクサンドル・デュマ・フィス(息子)が、1855年に発行した小説のタイトルとして創った言葉とのことです。ってことは、その頃、実際にはそう呼ばれてはいなかったっていうことですよね。また、わざわざそういう言葉を作った、ということは 今までの社交界とは違うものがそこに確実に存在した、ということになるのだと思います。

では、半社交界、ドゥミ・モンドとは一体何だったのでしょう?

日本語だと 半というより、裏社交界と言った方が判りやすいかもしれないですね。

1830年の七月王政から48年の王制崩壊、共和制になるちょい前の15〜6年くらいの間、その前に興った産業革命ともあいまって、フランスは前代未聞のバブル(土地バブルではなく、投資バブルですね)に浮かれまくります。こうなると、なにが興るか!?

極端な貧富の差の誕生です。

日本のバブルはあっという間にしぼんじゃったので、そりゃあ大変だったけど、それでも案外傷は浅かったのですが、このバブルは15年もつづいたのです。
けっこう大きな傷跡残してくれました。

突然の貨幣経済により、土地からの収益のみで成り立っていた貴族達は没落し、突然大量の資産を手に入れた裕福な市民階級がその称号を買い取り、新興貴族となります。
その彼らの周りにいたのは、時代の徒花として存在した特殊な女性、お待たせ致しました!「クルティザンヌ」たちですね。
高級娼婦とも呼ばれますが、美貌だけでなく、高い教養やそのセンスの良さを誇り、誰かの愛人として囲われることなく何人ものパトロンを持ち、湯水のようにお金を使います。
ええ、自分で苦労して稼いだお金ではありません。他人のあぶく銭ですから、もう親の敵のように派手に使いまくりました。
パリの中心にアパルトマンと自分用の馬車を持ち、自ら月に数回も華やかな舞踏会を主宰し、劇場に通います。まあ、羨ましい(<違)

中でも野心的なクルティザンヌのうちには、財産を築いたり店を持ったりして生き抜いた人も居ますが、共和制以降は気の毒な事になったようです。
当時の人気クルティザンヌの写真は、ブロマイドとしてかなり売れたようです。ってことは一般庶民の憧れ、今ならさしずめレディ・ガガ様や浜崎あゆみの様な大スターでしょうか。

そういった、クルティザンヌや、新興貴族、ブルジョワジー達によって構成された社交界のことを、王族、貴族による本来の意味での「社交界」に対して、ドゥミ・モンドと名付けました。

ヴィオレッタのパーティに集う人々をご覧くださいまし。
本来の重要な貴族達(まあ、かなり革命で消えちゃいましたせいか)公爵や伯爵はあまり見かけません。
男爵や子爵といった、割と爵位の低い貴族が揃っていますが、皆さん羽振りはよろしそうですね。
このうち、特に家臣から発生した「男爵」という爵位は、簡単に金銭による売り買いの対象になりましたから、ドゥフォール男爵って、ちょっと新興の成り上がり貴族のようにも思えます。
ああ、貴族の「階級」のお話も面白いのでいずれまた。

ところで、ヨーロッパでは「ちゃんとした女性」が、パーティの席でお酌をすることはあり得ないんだそうです。
あくまでもそのための僕か、それが居ないときは主人役の男性が行います。
一幕で『ヘーベーを見習ってお酒を注ぎましょう』とヴィオレッタがお酒をついで廻りますが、こういうことをやっちゃうのが、女主人が「普通の夫人」ではないドゥミ・モンドのパーティ。
そこに居るのは、貴族の皮をかぶった平民、貴婦人のドレスをまとった、やっぱり娼婦達。ちょっとぞくぞくしませんか?

当然、趣味の良さを身上としますので、豪華さも華やかさもうわべの上品さも貴族のそれとは全く見劣りがしないはずです。
ただ、どうしても長い年月をもって培われた貴族達とはどこか違う、何故かちぐはぐでいびつな世界。これがドゥミ・モンドです。

【お酒注ぐシーンが印象的。美しいヴィオレッタが素敵!】

DVD ヴェルディ:歌劇「椿姫」日本版が廃盤になっていて残念です。 字幕はないけれど一見の価値はあります。
アンジェラ・ゲオルギューの出世作。 とにかく美しかったです。
サー・ゲオルク・ショルティの指揮のもと、正確無比な音程で見事に情感を描き切った素晴らしい若く気高く美しいヴィオレッタでした。

【とにかく演出が美しすぎる。まさにドゥミモンド】

こちらも日本版が廃盤になっていて残念…
ゼッフィレッリのあまりにも有名になってしまったトラヴィアータ。
美しいことこの上ない映像と、このために多大なダイエットをした結果、ナイーヴで繊細な美青年となったドミンゴが思う存分夢をみさせてくれます。