【Bohème:Vol.8】Berlingaccioのおご馳走

前回、ミミが亡くなった時期について後回しにしてしまいましたが、夕陽が顔に当たったということで、時刻は夕方、そして西側に窓がある(そして、西側に道路があったことは判明)のはわかりましたが、少し陽は長くなっていたのではないかと思います。で、それって何月なのでしょう。

三幕の最後に、ミミとロドルフォは冬にひとりぼっちは辛いから、花の季節になったら別れようね、って話しています。そして、ミミはちょっと不穏なことを言います。

Niuno è solo L’april.  (4月にひとりぼっちの人はいないわ)

Libretto ”La Bohème” Atto 3.

何言っているんですか? すでに別の愛人が……って考えて……る訳ではなさそうで、春になると、

Rodolfo: Si parla coi gigli e le rose. (薔薇や百合と話すんだ)

Mimi : Esce dai nidi un cinguettio gentile…. (鳥の巣から優しい囀りが聞こえるわ…)

Libretto ”La Bohème” Atto 3.

あら、ら。なんという美しく優しい恋人たちでしょう! 春に花が咲けばそれだけで一人ではない。さすが詩人です。では、二人が別れたのは、3月の終わり頃〜4月頭と見て良いでしょうか。ここのシーンは、並行して二つのカップルが別れる話を描いていますが、おそらく「もう二度と戻れない」から、せめて春を待とうという未練たっぷりなロド&ミミ。対してもう顔だって見たくないからすぐに、もう今ここで別れるから!というマル&ムゼカップル。逆を言ってしまえば、またいつでも戻るかもしれないという空気もたっぷり含まれて、つまり冬に別れても寒くもない、別れそのものが日常の「健康」で「未来がある」二人です。
二つのカップルの対比が見事に描かれた名シーンの一つになっています。

ところで、タイトルの“Berlingaccio”です。これってなんの事でしょう?
このセリフはミミが担ぎ込まれる前、マルチェッロとロドルフォがそれぞれ別れた娘たちのことで暗い気持ちになった時に、出てくるセリフです。ショナールとコッリーネがそれぞれ丸パンと塩漬けのニシンを持って登場します。粗末なものだと鼻で笑いつつもありがたいご馳走です。
ちょっとやそっとのものではないでしょうね。

Marcello: “Ebben? Del pan?”

Colline:”é un piatto degno di Demosteneà un’aringa…”

Schaunard:”…salata.”

Colline:”Il pranzo è in tavola.”

Marcello:”Questa è cuccagna da Berlingaccio.”

マルチェッロ:で? パンか?

コッリーネ:デモステネスほどの価値あるご馳走だ!ニシンで….

ショナール:…塩漬けだ

コッリーネ:昼食の支度ができた訳だ

マルチェッロ:これは“ベルリンガッチョ”の素晴らしいご馳走だ!

Libretto : Puccini, La Bohème
  • この「デモステネス」ってどっちのデモステネスのこと言っているのでしょうね。古代ギリシャ、アテナイの政治家と将軍がいるはずですが、共に碌な末期を迎えていなかったはずです。誰もが知る大物としての名も偉業もなしていないという意味で、それほどの価値があるという皮肉を言ったのでしょうか……

Berlingaccioとは、「giovedì grasso(カーニバルの(脂の)木曜日:ドニゼッティのオペラでもありますね)という、“最高に飲めや歌えなどんちゃん騒ぎの日”のことを、フィレンツェとその周辺の地方での呼び名だそうです。カーニバルの「脂の木曜日」とは、2024年は2月8日、2月2025年は2月27日、もちろん共に木曜日です。
まだまだ春とは言うには早い時期です。ここは流石に、単に比喩として使っているだけだとは思います。
もし、実際の謝肉祭シーズンの最中のお話だとしたら、ちょっとまだまだ春とは言い切れない時期になってしまいますし、これは日本で言うところの「盆や正月じゃあるまいし」というような感じでしょう。

パーティーをしたり、どんな種類の食べ物や飲み物でも貪欲に食べたいという欲求、そしてある意味ではその義務を強調するために、「ベルリンガッチョの脂肪のない者は猫を殺す、猫を持たない者は猫を殺す」という格言が使われています。

it.wikipedia.org
  • 「ダイニングテーブルまたはゲームテーブル」を意味するberlengoに由来し、古フランス語のbrélancまたはberlencに由来し、これはフランケン語 brëdling ‘lath’ に由来します。(it.Wikipedia)

まあ、なぜパリジャンのマルチェッロが「フィレンツェ地方のお祭り」の名称を使って叫んだかは置いておいて(笑;;;; やはりミミやムゼッタと別れた若者二人は相も変わらず、ショナール(この人、へっぽこ音楽家さんのはずなんですが、どう言うわけか彼らの中ではうまくお金を持って帰ってくるだけの才能はあるようです)がいなければ、1日くらい普通に絶食してしまうような生活をしていたのは確実でしょう。

ミミと一緒に過ごした謝肉祭の日々も、おそらくGiovedì grassoの大食いもなく、春の最初の花が咲いた日にひっそりと二人で過ごしたあの屋根裏部屋を出て行ったのでしょう。

あれ? ところで、ミミとロドルフォって結局二人で暮らした時はどちらの部屋に住んでいたのでしょう?

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