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【VOL.2】クルティザンヌのこと

Vol1から随分と時間が経ってしまいました。
前回は、ドゥミモンドと新興貴族のお話を致しました。これは儲けちゃってこまっちゃった人たちのお話でしたね。今回は「クルティザンヌ」のことを描いていきたいと思います。

ここからは「ラ・ボエーム」の『【Vol.5】グリセットのお話』で既に書いたことの復習です。
この時代、貧しかった労働者階級は更に貧しくなり、(フランス革命前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)娘達は田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。ここまではいいですね。

有り難いことに?フランス革命でキリスト教が断絶した時代の申し子たちの子供達、つまり、キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の2世代目です。身を売る事についての罪悪感の薄さったらありません。かくして、大勢の高級娼婦予備軍の娘達が誕生します。

この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、資産家の紳士や老いた貴族の当時の流行のひとつでもあった「自分が最高級の女を育てる」遊びの対象として選ばれて教育を受けさせてもらえます。

これって マイ・フェア・レディ、それともプリティ・ウーマンのようですね。いつの時代も男性の夢なんでしょうか?現代の紳士の皆様ってどうお考えなのかな?ちょっと問い正してみたいもんです。

まあ、それはさておいて、こうして美しさと知性と教養で溢れた上に、モラルの欠如した貴婦人が誕生します。 これがクルティザンヌの素です。この素が、花から花へパトロンを渡り歩き、自らの館と馬車とパーティを持つようになって一丁上がり、クルティザンヌが完成します。

ここらへんまでなんとなく「ラ・ボエーム」のミミとも似ていますね。そうです。ボエームはほぼ同じ時代のお話になります。
そして、ミミはここではクルティザンヌにまでは成り上がれない、気立ての良いグリセットでしたね。

完成したクルティザンヌたちは堂々と貴婦人として馬車を駆け、劇場にも顔を出します。

ただ、一つ行くことができなかったのが正式な社交界の場であり、正妻達のいるパトロンの自宅です。子供が産まれても、私生児としてしか扱われません。ヴィオレッタのモデルとなった マリー・デュプレシも最初の子供を私生児とされたことで初めての真剣な恋が壊れ、自暴自棄な生活に拍車がかかります。

その後、また別の機会に書こうと思いますが、もうひとつの本気の恋をしますが、それを成就させるために別の男性と結婚をして正規の身分を手に入れようともします。恋ひとつするために大変な努力をすることになるのです。

いやもう、マリーから見たら、アルフレードの腕の中で死ぬことができたヴィオレッタって羨ましい限りなんじゃないかしら。。。。

【不朽の名作は押さえておこう】

オペラのタイトルは「椿姫」ではなく「道を踏み外した女」です。それでも日本では「椿姫」と訳されて愛されているのは、ひとえに、アレクサンドル・デュマ(息子)の、この切ない小説のタイトルをそのまま持ってきたからです。ここではヴィオレッタではなく、マルグリット・ゴーティエと名前は変わり、純粋に恋したのはアルフレードではなく、作家のデュマ・フィス。こちらも一度は読んでおきたい原作です。

【Vol.1】ドゥミ・モンドのこと

今回はドゥミ・モンドのことについてちょっと書いてみましょう。
この話を書いておかないと先にいろいろと進めなくなってしまうのです。

ドゥミ(半分)モンド(世界)
フランス語で「半分の世界」という意味になる言葉ですが、実はけっこう新しい言葉なんです。それも 誰あろう、アレクサンドル・デュマ・フィス(息子)が、1855年に発行した小説のタイトルとして創った言葉とのことです。ってことは、その頃、実際にはそう呼ばれてはいなかったっていうことですよね。また、わざわざそういう言葉を作った、ということは 今までの社交界とは違うものがそこに確実に存在した、ということになるのだと思います。

では、半社交界、ドゥミ・モンドとは一体何だったのでしょう?

日本語だと 半というより、裏社交界と言った方が判りやすいかもしれないですね。

1830年の七月王政から48年の王制崩壊、共和制になるちょい前の15〜6年くらいの間、その前に興った産業革命ともあいまって、フランスは前代未聞のバブル(土地バブルではなく、投資バブルですね)に浮かれまくります。こうなると、なにが興るか!?

極端な貧富の差の誕生です。

日本のバブルはあっという間にしぼんじゃったので、そりゃあ大変だったけど、それでも案外傷は浅かったのですが、このバブルは15年もつづいたのです。
けっこう大きな傷跡残してくれました。

突然の貨幣経済により、土地からの収益のみで成り立っていた貴族達は没落し、突然大量の資産を手に入れた裕福な市民階級がその称号を買い取り、新興貴族となります。
その彼らの周りにいたのは、時代の徒花として存在した特殊な女性、お待たせ致しました!「クルティザンヌ」たちですね。
高級娼婦とも呼ばれますが、美貌だけでなく、高い教養やそのセンスの良さを誇り、誰かの愛人として囲われることなく何人ものパトロンを持ち、湯水のようにお金を使います。
ええ、自分で苦労して稼いだお金ではありません。他人のあぶく銭ですから、もう親の敵のように派手に使いまくりました。
パリの中心にアパルトマンと自分用の馬車を持ち、自ら月に数回も華やかな舞踏会を主宰し、劇場に通います。まあ、羨ましい(<違)

中でも野心的なクルティザンヌのうちには、財産を築いたり店を持ったりして生き抜いた人も居ますが、共和制以降は気の毒な事になったようです。
当時の人気クルティザンヌの写真は、ブロマイドとしてかなり売れたようです。ってことは一般庶民の憧れ、今ならさしずめレディ・ガガ様や浜崎あゆみの様な大スターでしょうか。

そういった、クルティザンヌや、新興貴族、ブルジョワジー達によって構成された社交界のことを、王族、貴族による本来の意味での「社交界」に対して、ドゥミ・モンドと名付けました。

ヴィオレッタのパーティに集う人々をご覧くださいまし。
本来の重要な貴族達(まあ、かなり革命で消えちゃいましたせいか)公爵や伯爵はあまり見かけません。
男爵や子爵といった、割と爵位の低い貴族が揃っていますが、皆さん羽振りはよろしそうですね。
このうち、特に家臣から発生した「男爵」という爵位は、簡単に金銭による売り買いの対象になりましたから、ドゥフォール男爵って、ちょっと新興の成り上がり貴族のようにも思えます。
ああ、貴族の「階級」のお話も面白いのでいずれまた。

ところで、ヨーロッパでは「ちゃんとした女性」が、パーティの席でお酌をすることはあり得ないんだそうです。
あくまでもそのための僕か、それが居ないときは主人役の男性が行います。
一幕で『ヘーベーを見習ってお酒を注ぎましょう』とヴィオレッタがお酒をついで廻りますが、こういうことをやっちゃうのが、女主人が「普通の夫人」ではないドゥミ・モンドのパーティ。
そこに居るのは、貴族の皮をかぶった平民、貴婦人のドレスをまとった、やっぱり娼婦達。ちょっとぞくぞくしませんか?

当然、趣味の良さを身上としますので、豪華さも華やかさもうわべの上品さも貴族のそれとは全く見劣りがしないはずです。
ただ、どうしても長い年月をもって培われた貴族達とはどこか違う、何故かちぐはぐでいびつな世界。これがドゥミ・モンドです。

【お酒注ぐシーンが印象的。美しいヴィオレッタが素敵!】

DVD ヴェルディ:歌劇「椿姫」日本版が廃盤になっていて残念です。 字幕はないけれど一見の価値はあります。
アンジェラ・ゲオルギューの出世作。 とにかく美しかったです。
サー・ゲオルク・ショルティの指揮のもと、正確無比な音程で見事に情感を描き切った素晴らしい若く気高く美しいヴィオレッタでした。

【とにかく演出が美しすぎる。まさにドゥミモンド】

こちらも日本版が廃盤になっていて残念…
ゼッフィレッリのあまりにも有名になってしまったトラヴィアータ。
美しいことこの上ない映像と、このために多大なダイエットをした結果、ナイーヴで繊細な美青年となったドミンゴが思う存分夢をみさせてくれます。