Tag Archives: 台本

台本や台本作家ネタ

【Vol.1】ドゥミ・モンドのこと

今回はドゥミ・モンドについてちょっと書いてみましょう。
この話を書いておかないと先にいろいろと進めなくなってしまうのです。

ドゥミ(半分)モンド(世界)
フランス語で「半分の世界」という意味になる言葉ですが、実はけっこう新しい言葉なんです。それも 誰あろう、アレクサンドル・デュマ・フィス(息子)が、1855年に発行した小説のタイトルとして創った言葉とのことです。ってことは、その頃、実際にはそう呼ばれてはいなかったっていうことですよね。また、わざわざそういう言葉を作った、ということは 今までの社交界とは違うものがそこに確実に存在した、ということになるのだと思います。

では、半社交界、ドゥミ・モンドとは一体何だったのでしょう?

日本語だと 半というより、裏社交界と言った方が判りやすいかもしれないですね。

1830年の七月王政から48年の王制崩壊、共和制になるちょい前の15〜6年くらいの間、その前に興った産業革命ともあいまって、フランスは前代未聞のバブル(土地バブルではなく、投資バブルですね)に浮かれまくります。こうなると、なにが興るか!?

極端な貧富の差の誕生です。

日本のバブルはあっという間にしぼんじゃったので、そりゃあ大変だったけど、それでも案外傷は浅かったのですが、このバブルは15年もつづいたのです。
けっこう大きな傷跡残してくれました。

突然の貨幣経済により、土地からの収益のみで成り立っていた貴族達は没落し、突然大量の資産を手に入れた裕福な市民階級がその称号を買い取り、新興貴族となります。
その彼らの周りにいたのは、時代の徒花として存在した特殊な女性、お待たせ致しました!「クルティザンヌ」たちですね。
高級娼婦とも呼ばれますが、美貌だけでなく、高い教養やそのセンスの良さを誇り、誰かの愛人として囲われることなく何人ものパトロンを持ち、湯水のようにお金を使います。
ええ、自分で苦労して稼いだお金ではありません。他人のあぶく銭ですから、もう親の敵のように派手に使いまくりました。
パリの中心にアパルトマンと自分用の馬車を持ち、自ら月に数回も華やかな舞踏会を主宰し、劇場に通います。まあ、羨ましい(<違)

中でも野心的なクルティザンヌのうちには、財産を築いたり店を持ったりして生き抜いた人も居ますが、共和制以降は気の毒な事になったようです。
当時の人気クルティザンヌの写真は、ブロマイドとしてかなり売れたようです。ってことは一般庶民の憧れ、今ならさしずめレディ・ガガ様や浜崎あゆみの様な大スターでしょうか。

そういった、クルティザンヌや、新興貴族、ブルジョワジー達によって構成された社交界のことを、王族、貴族による本来の意味での「社交界」に対して、ドゥミ・モンドと名付けました。

ヴィオレッタのパーティに集う人々をご覧くださいまし。
本来の重要な貴族達(まあ、かなり革命で消えちゃいましたせいか)公爵や伯爵はあまり見かけません。
男爵や子爵といった、割と爵位の低い貴族が揃っていますが、皆さん羽振りはよろしそうですね。
このうち、特に家臣から発生した「男爵」という爵位は、簡単に金銭による売り買いの対象になりましたから、ドゥフォール男爵って、ちょっと新興の成り上がり貴族のようにも思えます。
ああ、貴族の「階級」のお話も面白いのでいずれまた。

ところで、ヨーロッパでは「ちゃんとした女性」が、パーティの席でお酌をすることはあり得ないんだそうです。
あくまでもそのための僕か、それが居ないときは主人役の男性が行います。
一幕で『ヘーベーを見習ってお酒を注ぎましょう』とヴィオレッタがお酒をついで廻りますが、こういうことをやっちゃうのが、女主人が「普通の夫人」ではないドゥミ・モンドのパーティ。
そこに居るのは、貴族の皮をかぶった平民、貴婦人のドレスをまとった、やっぱり娼婦達。ちょっとぞくぞくしませんか?

当然、趣味の良さを身上としますので、豪華さも華やかさもうわべの上品さも貴族のそれとは全く見劣りがしないはずです。
ただ、どうしても長い年月をもって培われた貴族達とはどこか違う、何故かちぐはぐでいびつな世界。これがドゥミ・モンドです。

【お酒注ぐシーンが印象的。美しいヴィオレッタが素敵!】

【とにかく演出が美しすぎる。まさにドゥミモンド】日本版が廃盤になっていて残念…

【Vol.2】 カフェ・モミュスに行こう!

舞台になった、カフェ・モミュスなんですが、実はThomas Boysという画家がスケッチを残しています。
ケンブリッジ・オペラ・ハンドブックの表紙にスケッチの一部が使われているので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれないですね。
画像検索でしっかり見つかりました。
壁にちゃんと「カフェ・モミュス」とあります。ビリヤードっていう文字もみえます。

こちらの絵は複製画を14.9ユーロから(税込み)で購入できるようです。よろしければおひとつ……

う~ん。 実在したのですねえ……だけど、なんだかちょっとイメージは違う雰囲気はします。
場所はどこでしょう。水彩画の方の説明には、Rue des Prêtes, Paris とあります。多分、これは住所でしょう。

地図を広げて調べると、その通りの名そのものは既に見つからず、3 Rue des Prêtes Saint-Severinと言うところにサンセヴラン教会があります。カルチェラタンの近く、サンジェルマン通りのすぐ北、イル・ド・フランスといわれる地域です。

ちょっと微妙だなあ…… と思いつつ、ト書きを読んで行くと、色々と通りの名前が出てきますね。

市民達が「Via Mazzarinoに行こう!さあ、Cafe Momusへ行こう!」と言います。(ヴォーカルスコア98ページ)
パリの場合、Rue Mazarine(マザリーヌ通り)でしょうか。
地図を広げてみると、ああ、ありました!マザリーヌ通りにムゼッタが立つ(116ページト書き)と、ドフィーヌ通り(106ページ)との交差点を挟んだその向うの旧コメディ通りにパルピニョールが去ってゆきます(110ページ)。
そのちょうど5つの通りがちょっと変則的に交差する角には まさにこんな感じ!というカフェが両側にあります。
Le Buci とLe Conti…… あ、ちょっと惜しい!モミュスじゃないっ!!(笑;;;;

それでもその辺りはまさに カフェ・モミュスのイメージにぴったりですね。
実は、別のルートから、モミュスのあった場所が判りました
17 Rue des Prêtres-Saint-Germain-l’Auxerrois だそうです。

関係者の家やモミュスの場所を入れたGoogleMapを作って、公開しておきましたので、興味のある方はどうぞ。まあ、リアルに場所がわかったからってどうってことはないですが(笑;;;
だけど、これで見ると、モミュスって、ポン・ヌフを超えて、対岸にあるんですね。

ところで、オペラの中に登場するカフェ・モミュスのモデルには、もう一つ、プッチーニが当時滞在していたトリノのテアトロ・レージョ近くにある カフェ・ビチェリン(Al Bicerin)がそうじゃないかという説もあります。
創業が1763年とのこと、少なくとも初演を前に準備が忙しかったプッチーニが通っていた事は想像に難くないでしょう。

–イタリア人ですもの、3歩歩いたらバール寄りますからね。(^m^)–

ひょっとして、音楽のイメージの中に このカフェが反映されているかもしれないですね。

ところで、ここでクイズをひとつ。

実在の4人の若者達(当時「四銃士」と呼ばれていたそうですよ)をモデルにした、ロドルフォたち4人。カフェ・モミュスへは、このクリスマスの晩に「A:実は初めて行った」いえいえ、「B:何度も行った事がある」

さてどっちでしょう。

応えは「B:何度も行った事がある」です。

え? だってボーイが持ってきた会計書見て「高っ!!!」って叫んでいましたよね。自分たちの懐具合も値段もわからないでモミュスに繰り出していったって??

そうなんです。そこんところについてもリブレットにはちゃんと書いてあるんです。
「彼らは、何度もモミュスに出かけ、請求書を受けても払う事もなく出てくるところも一緒で……」
のどかな時代なんでしょうか。

確かに、今回もそれなりのお金をしっかり手に入れてモミュスに行った筈なのに、コート買ったり、ボンネット買ったり、そもそも先に全部使っちゃっていましたよね。

ちなみにビチェリンとは ホットチョコレートにコーヒーとクリームを泡立てたものだそうです。せんだって、念願叶ってトリノへ行くことができましたが、悲しいことに、カフェ・ビチェリンは定休日でした。

【確認したくなったら…】

【プロローグ】若者よ、恋なんかしてる場合じゃない!

ラ・ボエームの解説本を読むと、舞台はたいてい、1830年頃のパリ、時はクリスマス・イブと書いてあります。

まあ、せいぜいが1830年代中頃まで。 つまり1830年から1835年頃と見るのがよさそうです。
お話は文無しの若者たちと、貧しいけれど心根の優しい娘たちの一瞬のきらめくような愛と死を描いたとてもロマンチックなお話ですけれど、この当時のフランスって、実のところ、とんでもないことになっているんです。
ここんところは押さえておきましょうか。

1789年、フランス革命ですべてがガラガラポン!王政が廃止され共和制へ。高い理想を持って突っ走りすぎたせいで内部では自己崩壊してしまいます。

ところがあまりに過激な革命の進み方にびびった諸外国から、介入にあってしまいます。現在もどこかの国がなんかあると介入しますよね。さすがにこれには困った。
それを打ち破れるには強い軍人が必要だったのです。いいところに出てきたのがナポレオン。その帝政の時代を経て、やっぱり成り上がりは「ダメ」と王政復古がなされます(忙しいですね)。

ルイ16世の弟のルイ18世の時はまあなんとかいったんですが、その弟、シャルル10世のとった反動政策に叛旗を翻したのは力をつけてきたブルジョワジ(中産階級)たち。

7月革命で国王を追い出し、オルレアン家のルイ・フィリップによる新国王が誕生します。
おお、そういえば、ルイ・フィリップさんって、1幕でショナールが投げたコインに刻印された国王陛下でしたよね。

その結果、爵位が裕福な市民階級に買われて「成り上がり貴族」が誕生する一方で一般大衆の多くは職を失い、町は失業者で溢れていました。

一方、レ・ミゼラブルのクライマックスの学生たちの蜂起のシーンは1832年6月のパリ蜂起(暴動)が舞台です。
それは経済国王といわれたルイ・フィリップの下、広がる貧富の格差と不作、コレラによる街の荒廃が背景となり、やり場を失った若い理想主義者たちの暴発でした。気の毒に……
そしてその失敗により、民衆の不満は1848年の2月革命によって国王が追い出されるまでどんどん肥大し悪化していったのです。
ということで、まあ、ロマンチックどころでないのがこの時代です。

ロドルフォもミミを口説いている暇なんかない状態のはずですが、良くしたものでこういう時代ならではの物語が産まれたのですね。
あとから重要になってきますからしっかり押さえておきたいポイントです。私だったらきっと試験に出しますよ。

珍しい版を見つけました

【プロローグ】もじもじする大臣たち

数年前、とあるところの連絡用のメールに軽い気持ちでちょっと前に教わったばかりのTURANDOTについての小ネタを書いたのだけれど、思いのほかにこれがウケたので同じようなネタを集めて書く様になってしまった。

「さて、ピンポンパンの3人の大臣は、2幕の1場の最後、いよいよ宮廷に向かうとき、どんな風に退場するのでしょうか?」
答えは「もじもじ」 (^-^;;;;   ボーカルスコア160ページ、いちばん最後の小説のト書きをご覧ください。

– Se ne vanno mogi mogi. –

彼らはもじもじしながらと立ち去った。(嘘です。悄然として立ち去ったです)

ちなみに、これは複数だからmogi mogi ですが、一人だったとしたら「もじょもじょ」ってなります。
これも棄てがたく、なんか可愛いですよね。

[ご参考までに]