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時代背景とかなんとか

【Traviata:Vol.5】称号な貴族のみなさん

貴族の館の写真。パーティなどはこのような広間で食事が提供されていたようです。

オペラの中には、よく色々な貴族の称号や、身分を明確にしているものがあります。例えば、『椿姫(La Traviata)』では、少なくとも、侯爵(ドビニー)、男爵(ドフォール)、子爵(ガストン)の3人の貴族が登場しています。
原作とは違うところがあり、そして、それぞれの称号が、とてつもなく趣深いものだなあ、と感じることがありましたので、それも合わせて貴族というものをちょっとまとめて見ましょうか。

貴族制度といっても一概には言えないものがあります。古くは、ローマ帝国の元老院議員達、彼らも貴族でした。ただ、中世以降の貴族とはちょっと様子が違うのでこちらは今回は省いておきます。

まずは、貴族の成り立ちから。 

それはそもそも、中世の騎士達による飽く事なき戦いの時代から始まります。 時代でいうと、カロリング朝フランク帝国のシャルルマーニュ大帝(742年- 814年)の頃です。
まだその頃は国としてのまとまりは薄く、それぞれの族長のような騎士達の中で最も人望が厚い人間が王となります。勿論、王そのものの力はまだまだ弱かったのです。

それが少しずつ,王を中心とした強い集団となって行くにしたがい、国力も上がり、中央集権もなされてきます。そういった中で、王に忠誠を誓った騎士が、その忠誠の見返りに『領地』を与えられたことから、現代に連なる貴族が始まります。

つまり、貴族って『領地』が基準となっているのです。ここ大切。

土地を治める貴族の事を『伯 “Graf(グラーフ)”、“またはCont(コント—お笑いのことじゃないですよ)”』と呼びます。つまり「貴族」と呼ばれる家系は伯爵がスタートラインになっているようです。

更に、辺境地域、つまり国境地域を治める「伯」は、もう一つ上の格として『辺境伯 “Markgraf(マルクグラーフ、またはマルキ)”』と呼びます。
何故って?辺境地域は、中央部より大変なんですよ。

なにせ、国々の国境はまだ完璧に出来上がっていない上に、すぐ隣には他国があります。だいたい昔から、隣りの国とは仲が悪いと相場が決まっています。領土の取り合いやらなにやらでしょっちゅういざこざを起こす訳ですから、信頼が置ける人をそこへ配し、苦労の代わりに高い地位を与えた訳です。

一方、ものすごく面倒なことに、中世ごろの忠誠や命令系統のあり方というのもまたややこしい。一人の騎士が複数のお館様に士官する、姻戚関係があるということも多く、自分の部下の率いる部隊の騎士誰もが王に直接忠誠を誓っているわけではない(領土くれたり年金くれるわけじゃないですからね)ため、王はそれらの騎士達への直接命令権は持っていません。
‥というのを、本当は押さえておきたいところですが、話がまとまらなくなっちゃうので、今回は華麗にスルーいたしましょう。

この辺境伯が、時代が下るにつれて『侯爵 “Margrave(マールグラーフ)”』とになります。ま、そこら辺はざっくりすぎて申し訳ありません。国ごとに状況は違い、ドイツ(神聖ローマ帝国)あたりではまた違った動きがあります。

貴族というと、豪華なレース飾りに、馬車に舞踏会に……とついつい考えてしまいますが、本来は、国と王を守るための軍人であることが第一義です。

華やかな王侯貴族の誕生

更に時代が下がってくると、貴族も色々と拡大します。そして、騎士(武人)であり、王も部族を守るという立ち位置より、民を治め国を発展させるリーダーとしての役割へと変化していきます。この辺りから、貴族も武人より宮廷人としての意味合いが強くなってきます。

まず、王族の庶子達には、侯爵よりも上の位が必要となります。やはり身内は大切にしたいものです。
ローマ帝国最高司令官の官職の流れを汲んで、彼らに与えられた称号が『公爵 “Herzog(ヘルツォーク)”、または“Duc(デュク)”』です。

上から、王家の下に、公爵、侯爵、伯爵が揃いました。

そして、伯爵家の「副官」の地位にあると言う意味から『副伯』つまり 『子爵 “VisCount”』が派生します。勿論、国ごとに多少の違いはあります。
例えば、オーストリー帝国では「副伯」の地位はなく、「城伯」となります。

この子爵という称号には、基本的には領土が付随しません。
大体が、伯爵家の跡継ぎ(嫡男)による、『家督を継ぐまでの見習い期間の称号』という位置付けだったようです。つまり、子爵というのは、大人になったのだけれど、いつまでたっても(父親が現役のため)爵位を持てない青年貴族たちに、将来があることを保証しているようなものでしたが、その称号のままで相続による領土を持ったり一族をなすことも出てきました。

ということで、椿姫におけるガストン君は、将来的には伯爵になるご予定の嫡男ということか、または、あの呑気さを考えると、後を継げなかった嫡男の家の息子あたりかもしれないですね。資産を産む領土がないので、本来は収入はありませんが、バックに領土を持つ伯爵が控えている、または、なにかしらの収入手段を自分で持っているということが考えられます。

立ち位置の難しい男爵さま

最後は『男爵 “Baron(バロン)”または、“Freiherr(フライヘル)”』です。

これがまた面倒。子爵と違い、フランスでもドイツでもイギリスでも存在する爵位ですが、国ごとに成り立ちは微妙に違いますが、ざっくりとまとめると以下のようになります。

中世において、他の領主達とは違い、国王の直属の臣下として、自分で土地を有していたり、自由民の中で資産を形成した人たちの中から役職を持つような人たちを指す階級となりました。その後の中央集権が進む中で、いつの間にか同様に職や力を持った人たちとひっくるめて『バロン』と呼ぶようになったようです。
バロンは日本語においては『男爵』と訳されていますが、実際は日本の男爵とは大分様相が違うようです。

また、ドイツのFreiherrあたりは、少領主という扱いになっていて、他国のバロン達と比べると、更にもうひと段階下のクラスになります。

フランス革命なんかよりはるか昔から、男爵家といえば、お金がない。それはこの、領土を爵位に合わせて受領するのではなく、自分で稼ぐ、または自分で持った領土とは別に士官する必要があることが関係していると思われます。

ロッシーニの『チェネレントラ(シンデレラ)』の家も男爵家でしたね。もう、チェネレントラ(灰被り姫)ことアンジェリーナの持参金も使い込んでしまった貧乏男爵です。ここでよくあるのが、フランス革命前後に勃興したブルジョワジーたちが、婚姻や他の手段をもって身分を手に入れる、そうです、お金が入ったら次は身分ということで貴族の称号を手にしたくなった人たちによって血統の入れ替わりなどが起きています。

椿姫で登場する男爵は、そうです、ヴィオレッタのパトロン、ドゥフォール男爵です(バローネとしか呼ばれませんが)。そして、原作のデュマ・フィスの小説『椿をもった女性』ではそのお役目は公爵様でした。たしか、実在されたマリーさんのパトロンは伯爵でしたっけ?

このバロン、お話を通して見てみると、なんだかけっこういい人ですよね。駆け落ちされた挙句に、戻ってきたいという願いを受けてヴィオレッタをもう一度支援する。その上にヴィオレッタを侮辱したとして決闘をして怪我までしている‥。椿姫と決闘ということについては、ちょっと置いておきますが、どうもこの人のこと、嫌いになれないです。なんとなく、お金をたくさん手にして、男爵という身分も手に入れた、つまり、このドゥミ・モンドの世界からしてみれば、ちょっとこなれていないようなところも見受けられます。

称号貴族なあやしい人

その反対側にいるなぁと思うのがドビニー侯爵です。
こちらも舞台では「マルケーゼ」としか呼ばれませんが。椿姫の登場人物で一番高い身分を持った貴族です。
勿論、フランス革命を経たフランスの貴族ですから、どの程度の資産を持っていたかはわかりませんが、革命後のドサクサをうまく立ち回っていた場合は、先祖から譲り受けた資産を持っていた可能性もありますし、王政復古の折に元々持っていた領地を取り戻した可能性もあります。リブレットの端端に見られる言葉から、かなりの資産を持っていることは感じられます。

その上、この方、お家柄がいいだけのお坊ちゃんとは違い、ちょっとばかり胡散臭さも感じられて、とても楽しいです。どう見てもこのオペラの中で催される、ふたつの舞踏会を牛耳っているのはこのお方にしか見えないところがあるのです。今度フローラと侯爵の二人についても書いてみようかと思います。

【ちょっとびっくりな椿姫】

「椿姫」の中でも最近見た中で一番なんだかいろんな面で納得しちゃったDVDです。
好き嫌いはすごく出そうな気がしますが、とにかくすごい。アンニーナがとにかく上手い(そこ?)。というより、現代演出の嫌いな私が、これはこれで「あり」なんだと思ってしまった作品なのでここでご紹介して見ました。デセイには確かにヴィオレッタは荷が重い。でも、キャラクターの把握はとにかく深い。そして、侯爵さまの怪しさったらもう(笑;;;; いや、そこじゃない。

コルティジャーナの系譜

【Traviata:Vol.4】高級娼婦の系図

コルティジャーナの系譜

なんだかずっとクルティザンヌにこだわっているようなんで恐縮ですが。

かのオペラ研究家、故永竹先生が書かれたご本で『オペラになった高級娼婦〜椿姫とは誰か〜』というものがあります。
その中で先生は高級娼婦文化は人類史上3回のみ発生していると仰っています。

■一回目■

古代ギリシア。 アテネでは貴族達が哲学の話をするサロンに集まることがいちばん「イケてる」ことでした。半裸の男性が酒飲んじゃ哲学談義ってどんな状況なんでしょうか、流行ってる時はとにかくそれが一番かっこよく見えるんでしょう。
通常、そういうところは細君であっても女性の立ち入りは禁じられていました。そして、唯一、『ヘタイラ』と呼ばれる高級な遊女のみが立ち入れたということが残されています。
まあ、かつての永田町あたりでは赤坂の高級料亭で政治が行われ、そこに立ち入れるのは芸妓と女将という『プロの女性』だけ、というようなところでしょうか。

さて、一方、アテネ市民とは『アテネ市民との婚姻で産まれた子供』しかなれません。
そのため、女性を

  1. 嫡子(市民)を産んで育てる役割の正妻
  2. 通常の身の回りの世話をする側室
  3. 正妻を持つ事ができない貴族以外の男性を平等に面倒見る娼婦
  4. ヘタイラ

とわけたそうです。

ヘタイラとは『外国人であり、美貌と教養を持ち、子供の世話や日々の世話をするようなことにとらわれず男性と同等の知恵と知識を持ちサロンにつれて歩ける女性』という存在だそうです。元々の言葉の意味も(連れ)という意味から発生したと言われています。なんでまた「外国人限定」なんでしょうね。
さて、ローマではどうしてこういった文化が残らなかったのでしょうか?

それは「異民族の集合体であること」と「女性が強かった」から。

サビーヌの略奪の歴史に見るように、自分の夫を守るために父や兄の軍隊の前に飛び出す勇敢な女達が居るくらいです。
ギリシャ型正妻なんざ、やってはくれません。
なので、アテネ没落後はヘタイラ文化は消えました。

さらにローマがキリスト教化されることで自然神崇拝のおおらかな人々を、キリスト教的戒律で雁字搦めにしたお陰で、女性はあくまでも原罪として表舞台にできるだけ出ないようにされてきたのです。

それなのに二回目がある。 どこで?

■二回目■

それは『ルネッサンス時代のローマ』です。なんと!仇敵、キリスト教の総本山で発生するのです。

『コルティジャーナ』。
クルティザンヌの語源ともなる言葉で、『宮廷貴婦人』とでも訳しましょうか。
法王庁で当時多くの人文学者や知識階層があつまり自由な討論が繰り広げられたのですが、さすが法王庁は(裏はどうであれ)完全な男社会です。

また性懲りもなく「なんだかオトコだけじゃあどうも殺風景だねえ。」って誰が言いだしたかは知りませんが、やはり女性を配しましょう!ということになりました。

参加者の夫人や娘達はそれなりに教養はありますが、さすがに独身だらけの法王庁サロンには出入りしにくい。
そうなると、知恵を絞るモノには天啓がくだされるのです。

そうだ!古代のヘタイラを復活させよう!!
だって、『ルネッサーンス』だもんね。

かくして、庶民の中で美貌(なんで必要なんかな……)と頭脳が明晰な少女達を選び出し、徹底して教育をして育て上げた結果、最上級の宮廷婦人、コルティジャーナが完成します。

彼女達はサロンに出入りする貴族達の愛人としてどんどん成功を収め、引退の年頃になる頃にはひとかどの財産を築き上げるものが多かったと言われます。

そのためどこかの国のステージママのように、自分の娘がちょっと可愛いとなると、やっきになってコルティジャーナにならせるべく目の色をかえるようになりました。

ああ…… 当然風紀が乱れますよね。 深読みしなくても。

そのせいとばかりは言えませんが、原因のひとつとして宗教改革の嵐が置き、法王庁からコルティジャーナ達は追放されます。
そして、宗教からも政治からも自由な唯一の都市、ヴェネツィアで再度花開きます。
ヴェネツィアでは、コート(宮廷)や法王庁はありませんので、自分の才覚だけでサロンを開き、そこであらたな文化を広めます。
塩野七生さんの小説「緋色のヴェネツィア」「黄金のローマ」では、この時代のコルティジャーナを重要なキャラとして扱っています。
歴史物で有名な塩野さんですが、この三部作は軽いミステリータッチの読み物としてもとても面白いのでお勧めです。

当然、ヴェネツィアの没落とともにその存在も消えて行ったのです。

■三回目■

これは言わずと知れた、椿姫の舞台となった1830年代〜45年頃のフランスです。
パリのクルティザンヌと比べると、前期2回の方がすごみがあったような気もしますが、きっとそれは社会の中で、他の手段をもって女性がのしあがる選択肢が増えてきた、ということになるかと思います。

日本の花魁、特に吉原や京都の島原の太夫にも通じるものがありますが、似て非なる最も大きなところは、花魁の所有権はあくまでも店が持っていたのです。

すべて三回とも、女性そのものの所有権はあくまでも、女性本人が持っていたということです。

【Traviata:Vol.3】ルイルイ♪は「太陽の金貨」

鹿島茂さんという方の「馬車が買いたい! (白水社 ) 」と言う本があります。

当時の生活ぶりを、「ゴリオ爺さん」や「レ・ミゼラブル」等の登場人物を通して解き明かしていてとても面白いです。

フランスではどの時代でも生活水準の目安となるものがパンの価格だそうです(へーーー)物価指針と言う奴ですね。日本の米価になるのでしょうか?

ちなみに、1キロのパンが8スー(4/10フラン)だったそうです。1キロのパン=バケット4本分にあたるそうです。

Fresh sourdough bread on farmers market

ざっくり省略しますが、それを試算すると、当時の貨幣価値がだいたい、1フラン1000円程度(著作が1990年で、重版が2009年、さてどちらのレートかしら?)になるそうです。

現在から見ると物価は多少上昇しているのですが(日本の統計局の物価指針を見ると、まあ、ものによってなんですが、ほんのちょっと高いです。あ、パンはやたら上がっていますが、フランスはそれほどでもないようです。)、判りやすいので、採用いたしましょう。

補助通貨はユーロになるまでつかわれていたものと同じ、サンチームです。(1/100フラン)

ただ、この頃は色々な時代のお金が平気で乱立していました。

たとえば、リーブル。(ベルサイユの薔薇ファンの方ならおなじみですよね)これは当時まだ現役です。

金貨の重さで言えば、本来は1フラン=1.0125リーブルにあたるのですが、フランの金の含有量が下がったため、1フラン=1リーブルとなってしまいました。

その、リーブルの補助通貨としてのスー(1/20リーブル)は、ボエームの舞台、カルチェラタンでは大手を振っていました。

そのほか、エキュ(1エキュ=3フラン)、ルイ(20フラン相当の金貨、当時はナポレオン金貨を指していたようですが、本来はアンシャン・レジームのルイ金貨を指します。)などが混在しています。

特に、ルイやエキュは単純に金貨・銀貨を指し、財産を意味したようです。

Photo by Public Domain Pictures

ということで……

さて、ここで気になるのが、アルフレードが賭けに使ったお金です。演出では よく懐から札束を出しているようなんですが……

100ルイを右へ、とか、左へ……というときの「ルイ」は金貨となるはずなんです。でも、金貨の袋持ってきていたんでしょうか?

実は、当時の賭博場では掛け札の代わりをルイ金貨がしていたから。つまり、現在でもカジノで使われるチップ、あのような感覚のようです。

つまり、100ルイを、という時は2000フラン(200万円)を出してというように……

ん?

わーーーー  ちょっと待った!!アルフレード。
どこからそんなお金持って来た!?

いえいえ、最初は、どれだけ賭けていたかは判りませんので、ホンの1ルイくらいから賭けてここまで増やしたのかもしれないですが……(それでも2万円だけれど)
何度も勝って、もしかして、男爵が賭けに加わった頃に、ちょうど手持ちが100ルイ位だったのかもしれません。

それでも少なくとも、男爵とのやり取りで300ルイ=6000フランは勝っています。その前の手持ちと勝ち金を合わせると、500ルイ=1万フラン(1000万円)くらいは持っていたのでしょうか。

ところで、1840年代、『紙幣』は100フラン・200フラン・500フラン・1,000フランの4種類が発行されていたそうです。

ただ、40年代に追加された100と200がこの時既にあったかは残念だけれど判りません。まあ500フラン札(5万円相当)を使ったとすると20枚程度になりますね。
ヴィオレッタの顔に叩き付けるにはどうでしょう? 多い?少ない??

ところで、たしか、アンニーナがアルフレードに不足分は1000ルイと言っていましたよね?  つまり、2万フラン……

たりないじゃん!

【馬車は貴族の必須アイテムです】

「椿姫」の中でも印象的なシーン、アルフレードが札束を投げる。でもそのお金、現在だったらいくらくらいかな?と思ってみると。
現在の各社界なんか吹っ飛ぶほどの格差社会のあの時代、必須アイテムを買うとしたら‥ ぜひぜひご購入をお考えの方はご参考に。。(なるか〜い!!)

クルティザンヌはお金がかかります

【Traviata:VOL.2】クルティザンヌのこと

Vol1から随分と時間が経ってしまいました。
前回は、ドゥミモンドと新興貴族のお話を致しました。これは儲けちゃってこまっちゃった人たちのお話でしたね。今回は「クルティザンヌ」のことを描いていきたいと思います。

クルティザンヌはお金がかかります
Photo by Marta Branco

ここからは「ラ・ボエーム」の『【Vol.5】グリセットのお話』で既に書いたことの復習です。
この時代、貧しかった労働者階級は更に貧しくなり、(フランス革命前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)娘達は田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。ここまではいいですね。

有り難いことに?フランス革命でキリスト教が断絶した時代の申し子たちの子供達、つまり、キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の2世代目です。身を売る事についての罪悪感の薄さったらありません。かくして、大勢の高級娼婦予備軍の娘達が誕生します。

この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、資産家の紳士や老いた貴族の当時の流行のひとつでもあった「自分が最高級の女を育てる」遊びの対象として選ばれて教育を受けさせてもらえます。

これって マイ・フェア・レディ、それともプリティ・ウーマンのようですね。いつの時代も男性の夢なんでしょうか?現代の紳士の皆様ってどうお考えなのかな?ちょっと問い正してみたいもんです。

まあ、それはさておいて、こうして美しさと知性と教養で溢れた上に、モラルの欠如した貴婦人が誕生します。 これがクルティザンヌの素です。この素が、花から花へパトロンを渡り歩き、自らの館と馬車とパーティを持つようになって一丁上がり、クルティザンヌが完成します。

ここらへんまでなんとなく「ラ・ボエーム」のミミとも似ていますね。そうです。ボエームはほぼ同じ時代のお話になります。
そして、ミミはここではクルティザンヌにまでは成り上がれない、気立ての良いグリセットでしたね。

完成したクルティザンヌたちは堂々と貴婦人として馬車を駆け、劇場にも顔を出します。

ただ、一つ行くことができなかったのが正式な社交界の場であり、正妻達のいるパトロンの自宅です。子供が産まれても、私生児としてしか扱われません。ヴィオレッタのモデルとなった マリー・デュプレシも最初の子供を私生児とされたことで初めての真剣な恋が壊れ、自暴自棄な生活に拍車がかかります。

その後、また別の機会に書こうと思いますが、もうひとつの本気の恋をしますが、それを成就させるために別の男性と結婚をして正規の身分を手に入れようともします。恋ひとつするために大変な努力をすることになるのです。

いやもう、マリーから見たら、アルフレードの腕の中で死ぬことができたヴィオレッタって羨ましい限りなんじゃないかしら。。。。

【不朽の名作は押さえておこう】

オペラのタイトルは「椿姫」ではなく「道を踏み外した女」です。それでも日本では「椿姫」と訳されて愛されているのは、ひとえに、アレクサンドル・デュマ(息子)の、この切ない小説のタイトルをそのまま持ってきたからです。ここではヴィオレッタではなく、マルグリット・ゴーティエと名前は変わり、純粋に恋したのはアルフレードではなく、作家のデュマ・フィス。こちらも一度は読んでおきたい原作です。

【Turandot:Vol.4】姫さまの名前は「朶」!?

トゥーランドットという姫の名前なんですが、どうにも中国の姫のような気がしないんですよね。どこの名前なのかしら?とずっと不思議でした。
ムーラン、という映画があります。これは中国の伝説的な佳人で武人「花木蘭」をモデルにしたディズニーのアニメーションですが、個人的には花木蘭とムーランがなかなか結びつかなくて、あるときに「木蘭」=「ムーラン」と気づいてびっくりしました。

京劇 姫君
Photo by Jimmy Chan

※ここからは妄想です。しばらくお付き合いください。

『ではでは、トゥーランドットのトゥーランは「トゥー」+「蘭」なのか!ムーランがマグノリアなら、トゥーランは「钍蘭tǔlán(シンビジウム)」ではどうだろう?綺麗じゃない?
ふむふむ、となると「ドット」はなんだ??そうだ、この間読んだ小説の皇后の名前は独鈷だったな。中国には珍しい二文字姓だけどよくない??。そう、家名。西洋式にひっくり返っているとなると、「トゥラン・ドッコ→独鈷钍蘭」なんていいかも』などと、色々と妄想しておりました。 —–以上 あくまでも妄想です。

閑話休題。1998年に張芸謀監督が演出をした際に、「中国公主杜蘭朶(Zhōngguó gōngzhǔ dù lán duǒ)」と記載されていたそうです。

おお、中国人が選んだ漢字がある!
となるとわかりやすくなりますね。(いや、こんなに前のことだったんですね。もっと早く気付けよ、です。)

「中国公主」とは、中国のお姫様の意味です。

「杜蘭」「朶」と切るか、「杜」「蘭朶」と切るか悩みどころなんですが…(台湾のホテルに「馥蘭朶春秋烏來」という名前のホテルがあったり、小説家に「塁 蘭朶」という方もいらっしゃるようで、「蘭朶」と切ることもあり、なのでしょうが)一応、ここは「杜蘭」で切ります。原典といわれるペルシャの物語(オリジナルは散逸しているようです)では、姫の名前は「トゥーランの姫君」となっているだけで「トゥーランドット」という名前は、フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワの『千一日物語』(こちらもすでに失われているようです)か、ゴッツィがヨーロッパに紹介するときに付けたようです。「ドット」はどこからきたんじゃい!

「杜蘭」という言葉、調べてみると「石斛(セッコク:デンドロビウム)」の別名のようです。「朶」とは「花」「輪」の意味(辞書によって変わります)。石斛とは蘭科の植物で、生薬にもなるようです。薬効はざっくり言って「消炎、強壮強精剤、および美声薬」とあります。「滋養強壮力のある美声にも効いちゃうお花」な姫君です。そっか。だからテノールがみんな一目惚れするんだ(ペルシャの王子もカラフもテノールです)。トゥーランのお姫様は、薬というより毒に近いとは思うんですけれどねえ。英雄と出会うとちょうどいい感じの薬になるのかもしれません。

とはいえ、これはあくまでも張芸謀監督が選んだ漢字。もともとはおそらくそんなことは全く考えてなかったのか、ペルシャで生まれた昔話ですから根本から違うようです。(先に書いておけと…)

トゥーランドット(元となった昔話の名前ではトゥーランドフト)とは「トゥーラン国(ラテン文字: Tūrān, ペルシア語: توران‎)」の「娘 (ペルシア語:دختر、ドフトル) 」からきているそうです。
欧州FAQ「ハンガリーの質問:トゥラニズム」

また、トゥーランドットについて、色々と書かれている多くの方が引用もしている「香川大学経済論叢『トゥーランドット物語の起源』」にもフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de la Croix:1653~1713)の『千一日物語』(Les Mille et un Jour)の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」(Histoire du prince Calaf et de la princesse de la Chine)についての解説として「トゥーラン(トルキスタン)」+「フランス語の学者という意味では?」として書かれています。この研修ノートは大変面白いのでぜひご一読をお勧めいたします。
っていうより、この文書があればこっちのブログいらないじゃん。。。。。 orz

今回は本当に役に立たないお話ですが、表意文字の漢字で書かれる人の名前って面白いですね。

Turandot チャン・イーモウ演出の世界

【ちょっと違った角度から見るトゥーランドット】

トゥーランドット~チャン・イーモウ演出の世界~

1998年に北京の紫禁城(オペラでも紫の城として登場していますよね)で上演したオペラプロジェクト、張芸謀監督の挑戦を追ったドキュメンタリー映画。
指揮者 ズビン・メータが中国、紫禁城でのオペラプロジェクトの演出家として白羽の矢を当てたのは、映画監督、張芸謀だった。。。

【Boheme:Vol.5】 グリセットのお話

原作では1840年の設定を、オペラではわざわざプッチーニが1830年代初頭に移したのにはいくつかの理由が考えられます。ひとつは、国王陛下の人気の度合いです。それと一番の理由は生活の苦しさではないかと愚孝しているわけです……

針と糸
Photo by Suzy Hazelwood

1830年初頭は貧しかった労働者階級は更に貧しく(それ以前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)農村の労働力としては心もとない娘達は、田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。

有り難いことに?フランス革命で宗教をも壊した「時代の申し子たち」の子供達、つまり『キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の第2世代』です。貞操に対する罪悪感の薄さったらありません。

かくして、大勢の娼婦予備軍の娘達が誕生します。
この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、トラヴィアータ(椿姫)の主人公、ヴィオレッタのようなクルティザンヌへと変貌します。

一方、そこまでの幸運と美貌とに恵まれなかった娘達は、割とフットワーク軽くそして逞しく生きてゆきます。
それがグリセット(Grisette)達です。
直訳すると『グレーの服の娘』とでも言えばいいのでしょうか?語源はグリ(Gri:グレー つまりお針子達の安価なグレーの制服)です。
当時の市民感覚としては「援助交際ギャル」とか「浮気娘」というところでしょうか。
グレーの制服を着たお針子や洗濯女達のお給金はとても安く、ギリギリ食べることは出来ますが、ちょっと気の利いたお洒落をしたり、カフェに行っておしゃべりをするには足りません。やはり副業が必要というか、手っ取り早くちょっとした贅沢をさせてくれる人が居たら嬉しいのです。

一方、中・上流階級出身の子息で医師や弁護士になるために大学に行っている学生や 裕福だけど、さすがにクルティザンヌを庇護するまでの資産はない老人達にとって、公営の娼館への出入りがはばかられる理由は山ほどあります。
かといって、同じ階級の娘達に手を出そうものなら、一応崩壊しているとはいえカトリックの国ですから、思いっきり差し障ります。

そういった双方の利害が一致した結果、「プロではない普通の女の子」のグリセット達は(当然、シルクを扱ったりしますので、身は–フランス人にしては—清潔にしていますし、手はすべすべです。)彼らのつかの間の愛人として、カフェに連れて行ってもらったり、可愛いアクセサリーやドレスを買ってもらうのです。
そう、ムゼッタなんかはグリセットそのものです。
若くて美人で魅力的で。マルチェッロの事は実際、大好きなのです。でも、愛だけでは生きていけないのです。

でも「贅沢が同じくらい好きなの…… アルチンドロは私の言うことなんでも聞いて、なんでも買ってくれるのよ。」

ムゼッタは、この物語の後、若い参事官の愛人になった時には、ル・アルプ通りを出てプリュイエール通りへと移り住みます。つまり、日本の江戸時代における大川の向島あたりの寮に住まわせた、小唄の師匠みたいな……ロレットと呼ばれる、もう他の仕事をしない身分へとステージアップします。

で、カンのいい方でしたらピン!と来られたかと思いますが、ボエーム2幕の群衆の中に「学生達とお針子達のカップル」が沢山出てきますね。つまりそういうカップル達でしょうか。

商売としての娼婦とは一線を画しているところもクルティザンヌと一緒ですが、彼女達は文化を創ることはしませんでした。

クルティザンヌがパリのガガ様なら、グリセットはリアルAKB。会いにいけるアイドル達といったところでしょう。

そして、ミミ。彼女も実際はそういったグリセットのひとりといっていいでしょう。

ミミは言います。「私の名前はミミ。本当はね、ルチアというの。」前にも書きましたね。「可愛い子ちゃん」「ねんねちゃん」という意味の愛称だと。
まずい事に(笑;;;; 「ミミ」「ジュジュ」「ルル」「ロロ」といった『繰り返し名』はマキシムを代表とする 踊り子たちの源氏名に多い名前であり、愛称であったようです。
ミミもきっとそういった中で、ちょっとまだ擦れていない、可愛い娘として「ギョーカイ」でそう呼ばれていたのでしょう。

現に、とても恋愛上手な可愛さと、病気のためロドルフォと別れて「ちゃんと」子爵に面倒を見てもらうことが出来るだけの知恵と力量とを持っていたようです。
それに、ロドルフォと知り合って間もない2幕の頭でも「ねえ、このバラ色の帽子、私に凄く似合うの」といって可愛いおねだりをしています。かなり高度なテクニックです。(^_^;;

原作に出てくる「浮気性で気まぐれなミミ(本名リュシェル:ルチアのフランス語)とフランシーヌという肺病で死んでしまう儚い乙女との二人を合わせたキャラクターがプッチーニのミミ」と言われています。 そのため、一途さと清純さが前面に出た性格なっているため、男性、特に、日本の男性の間には、ミミ=聖女説がある一方、ミミを娼婦とこき下ろす説もあります。

私はこのどちらの両極端の説にも賛成しかねるんです。やっぱりプッチーニが自分の好きなタイプの女の子として造り上げたキャラクターだけの事はあります。基本、根は善良で純真です。

けれど、ムゼッタを初めてみたとき、「e pur ben vestita! (でも素敵なドレスよ!)」と言ったり、サンゴの首飾りをしっかりと欲しがったり、ちょっとその生活の片鱗を見せてもくれています。「私はミミと呼ばれています」というアリアの歌詞も、随所にロドルフォを誘う言葉が盛り込まれているのです。
「ひとりで、 お昼ごはんを作って食べています。(カレシはいないのよ)
ミサには毎回は行っていません( 神様に縛られているわけではないのよ…多少の不品行はオッケーよ)
でも、神様にはたくさんお祈りしているんですよ。(あ、でもそんなに自堕落じゃないのよ)
一人です……たった一人で生きているんです。」

もう、めっちゃくちゃに上手いです。モテ期がまだ!と仰る方はぜひミミをご参考になさってください。
また、1830年初頭のグリセットたちは、まだまだ牧歌的で、学生たちや若い芸術家たちの恋人として、まめまめしく尽くすことが主だったそうです。それが40年代以降になると、経済状態の悪化から、更に荒んだ生活を送る娘たちが多くなっていったそうです。
そのため、プッチーニはどうしても時代を1830年代初頭に持っていきたかったんだろうな。

【「らしい」ボエームといえばこれ!】

出演: ストラータス(テレサ), カレーラス(ホセ), スコット(レナータ)
やっぱり、声だって大切だけれど、オペラだってビジュアル大事。 みていてしみじみ「らしい」なあと思えるのがこちら。
演技派ストラータスとせつないカレーラスが絶品

【Traviata:Vol.1】ドゥミ・モンドのこと

今回はドゥミ・モンドのことについてちょっと書いてみましょう。
この話を書いておかないと先にいろいろと進めなくなってしまうのです。


ドゥミ(半分)モンド(世界)
フランス語で「半分の世界」という意味になる言葉ですが、実はけっこう新しい言葉なんです。それも 誰あろう、アレクサンドル・デュマ・フィス(息子)が、1855年に発行した小説のタイトルとして創った言葉とのことです。ってことは、その頃、実際にはそう呼ばれてはいなかったっていうことですよね。また、わざわざそういう言葉を作った、ということは 今までの社交界とは違うものがそこに確実に存在した、ということになるのだと思います。

では、半社交界、ドゥミ・モンドとは一体何だったのでしょう?

日本語だと 半というより、裏社交界と言った方が判りやすいかもしれないですね。

1830年の七月王政から48年の王制崩壊、共和制になるちょい前の15〜6年くらいの間、その前に興った産業革命ともあいまって、フランスは前代未聞のバブル(土地バブルではなく、投資バブルですね)に浮かれまくります。こうなると、なにが興るか!?

極端な貧富の差の誕生です。

日本のバブルはあっという間にしぼんじゃったので、そりゃあ大変だったけど、それでも案外傷は浅かったのですが、このバブルは15年もつづいたのです。
けっこう大きな傷跡残してくれました。

突然の貨幣経済により、土地からの収益のみで成り立っていた貴族達は没落し、突然大量の資産を手に入れた裕福な市民階級がその称号を買い取り、新興貴族となります。
その彼らの周りにいたのは、時代の徒花として存在した特殊な女性、お待たせ致しました!「クルティザンヌ」たちですね。
高級娼婦とも呼ばれますが、美貌だけでなく、高い教養やそのセンスの良さを誇り、誰かの愛人として囲われることなく何人ものパトロンを持ち、湯水のようにお金を使います。
ええ、自分で苦労して稼いだお金ではありません。他人のあぶく銭ですから、もう親の敵のように派手に使いまくりました。
パリの中心にアパルトマンと自分用の馬車を持ち、自ら月に数回も華やかな舞踏会を主宰し、劇場に通います。まあ、羨ましい(<違)

中でも野心的なクルティザンヌのうちには、財産を築いたり店を持ったりして生き抜いた人も居ますが、共和制以降は気の毒な事になったようです。
当時の人気クルティザンヌの写真は、ブロマイドとしてかなり売れたようです。ってことは一般庶民の憧れ、今ならさしずめレディ・ガガ様や浜崎あゆみの様な大スターでしょうか。

そういった、クルティザンヌや、新興貴族、ブルジョワジー達によって構成された社交界のことを、王族、貴族による本来の意味での「社交界」に対して、ドゥミ・モンドと名付けました。

ヴィオレッタのパーティに集う人々をご覧くださいまし。
本来の重要な貴族達(まあ、かなり革命で消えちゃいましたせいか)公爵や伯爵はあまり見かけません。
男爵や子爵といった、割と爵位の低い貴族が揃っていますが、皆さん羽振りはよろしそうですね。
このうち、特に家臣から発生した「男爵」という爵位は、簡単に金銭による売り買いの対象になりましたから、ドゥフォール男爵って、ちょっと新興の成り上がり貴族のようにも思えます。
ああ、貴族の「階級」のお話も面白いのでいずれまた。

ところで、ヨーロッパでは「ちゃんとした女性」が、パーティの席でお酌をすることはあり得ないんだそうです。
あくまでもそのための僕か、それが居ないときは主人役の男性が行います。
一幕で『ヘーベーを見習ってお酒を注ぎましょう』とヴィオレッタがお酒をついで廻りますが、こういうことをやっちゃうのが、女主人が「普通の夫人」ではないドゥミ・モンドのパーティ。
そこに居るのは、貴族の皮をかぶった平民、貴婦人のドレスをまとった、やっぱり娼婦達。ちょっとぞくぞくしませんか?

当然、趣味の良さを身上としますので、豪華さも華やかさもうわべの上品さも貴族のそれとは全く見劣りがしないはずです。
ただ、どうしても長い年月をもって培われた貴族達とはどこか違う、何故かちぐはぐでいびつな世界。これがドゥミ・モンドです。

【お酒注ぐシーンが印象的。美しいヴィオレッタが素敵!】

DVD ヴェルディ:歌劇「椿姫」日本版が廃盤になっていて残念です。 字幕はないけれど一見の価値はあります。
アンジェラ・ゲオルギューの出世作。 とにかく美しかったです。
サー・ゲオルク・ショルティの指揮のもと、正確無比な音程で見事に情感を描き切った素晴らしい若く気高く美しいヴィオレッタでした。

【とにかく演出が美しすぎる。まさにドゥミモンド】

こちらも日本版が廃盤になっていて残念…
ゼッフィレッリのあまりにも有名になってしまったトラヴィアータ。
美しいことこの上ない映像と、このために多大なダイエットをした結果、ナイーヴで繊細な美青年となったドミンゴが思う存分夢をみさせてくれます。

【こうもり:プロローグ】De Noël à Paris♪

ヨハン・シュトラウスIIの名作「こうもり」と言えば、1870年頃のウィーンが舞台。大晦日のバカ騒ぎ…

実は原作では「パリ」「クリスマスの夜」なんです。その原作って「Réveillon(イヴのどんちゃん騒ぎ)」アンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィによって「パリを舞台に」フランスで「戯曲として」出され成功しています。(実は、この原作本には、プロイセンが舞台となっているネタのお話があるようなんですが、エッセンスが全く違うのでここでは黙殺しますね)

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Photo by Craig Adderley

1870年頃のパリが舞台、ということは、登場人物たちの設定にとっても大きな意味があります。

フランス革命から始まる、度重なる政治崩壊と再生の結果の「貴族階級の崩壊」「ブルジョワの隆盛」がここらへんで関わっていますね。アイゼンシュタインは貴族ではありません。モーツァルトの時代でしたら、こういう浮気な夫は貴族や領主です。銀行家ではなかったはずです。そして、平民である銀行家が外国の、とはいえ、王族につながる大貴族のパーティーに出席しているというのですから、ちょっと前ならありえなかったお話。そして、教会を否定した革命を経たパリでは、クリスマスそのものの存在が変わってしまっています。

ただ、オペレッタとして作曲されたのは、もちろんパリではありません。革命を経ていない上に、なにせマリア・テレジア様の遺訓だだしく、けっこうお堅い性格のオーストリアのことです。
おまけに劇場から歩いて30分もかからないところには、かのザンクト・シュテファン大聖堂が。非信者には単なるでっかくて黒い教会ですけれど、司教座聖堂、つまりカトリックの大司教の御座所におわします。クリスマスにこんなチャラチャラした事は許されません。(当然ですね。)

ってことで、別にクリスマスじゃなきゃありえな〜い!と言う程の事もありませんので、年末のどんちゃん騒ぎになった次第のようです。

【こうもり見るなら絶対この版】最高の美声の主、プライが 酔っ払ったいきおいみたいなノリノリアイゼンシュタインを演じれば、テ・カナワが多言語で切り返す、ドミンゴが楽しそうに指揮をすれば アズナヴールがゲストとして出演。 とにかく贅沢ざんまい。ひたすら楽しめる一枚です。

J.シュトラウス 喜歌劇《こうもり》全曲 DVD
出演>ロザリンデ:キリ・テ・カナワ/ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:ヘルマン・プライ/夜会のゲスト(第2幕):シャルル・アズナヴール(シャンソン歌手) メール・パーク (英国ロイヤル・バレエ)ウェイン・イーグリング(英国ロイヤル・バレエ)他
指揮:プラシド・ドミンゴ/演奏:コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団