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知っていても誰にも褒められないし世の中に何の役にも立たない、オペラのトリヴィア集

【Traviata:Vol.5】称号な貴族のみなさん

貴族の館の写真。パーティなどはこのような広間で食事が提供されていたようです。

オペラの中には、よく色々な貴族の称号や、身分を明確にしているものがあります。例えば、『椿姫(La Traviata)』では、少なくとも、侯爵(ドビニー)、男爵(ドフォール)、子爵(ガストン)の3人の貴族が登場しています。
原作とは違うところがあり、そして、それぞれの称号が、とてつもなく趣深いものだなあ、と感じることがありましたので、それも合わせて貴族というものをちょっとまとめて見ましょうか。

貴族制度といっても一概には言えないものがあります。古くは、ローマ帝国の元老院議員達、彼らも貴族でした。ただ、中世以降の貴族とはちょっと様子が違うのでこちらは今回は省いておきます。

まずは、貴族の成り立ちから。 

それはそもそも、中世の騎士達による飽く事なき戦いの時代から始まります。 時代でいうと、カロリング朝フランク帝国のシャルルマーニュ大帝(742年- 814年)の頃です。
まだその頃は国としてのまとまりは薄く、それぞれの族長のような騎士達の中で最も人望が厚い人間が王となります。勿論、王そのものの力はまだまだ弱かったのです。

それが少しずつ,王を中心とした強い集団となって行くにしたがい、国力も上がり、中央集権もなされてきます。そういった中で、王に忠誠を誓った騎士が、その忠誠の見返りに『領地』を与えられたことから、現代に連なる貴族が始まります。

つまり、貴族って『領地』が基準となっているのです。ここ大切。

土地を治める貴族の事を『伯 “Graf(グラーフ)”、“またはCont(コント—お笑いのことじゃないですよ)”』と呼びます。つまり「貴族」と呼ばれる家系は伯爵がスタートラインになっているようです。

更に、辺境地域、つまり国境地域を治める「伯」は、もう一つ上の格として『辺境伯 “Markgraf(マルクグラーフ、またはマルキ)”』と呼びます。
何故って?辺境地域は、中央部より大変なんですよ。

なにせ、国々の国境はまだ完璧に出来上がっていない上に、すぐ隣には他国があります。だいたい昔から、隣りの国とは仲が悪いと相場が決まっています。領土の取り合いやらなにやらでしょっちゅういざこざを起こす訳ですから、信頼が置ける人をそこへ配し、苦労の代わりに高い地位を与えた訳です。

一方、ものすごく面倒なことに、中世ごろの忠誠や命令系統のあり方というのもまたややこしい。一人の騎士が複数のお館様に士官する、姻戚関係があるということも多く、自分の部下の率いる部隊の騎士誰もが王に直接忠誠を誓っているわけではない(領土くれたり年金くれるわけじゃないですからね)ため、王はそれらの騎士達への直接命令権は持っていません。
‥というのを、本当は押さえておきたいところですが、話がまとまらなくなっちゃうので、今回は華麗にスルーいたしましょう。

この辺境伯が、時代が下るにつれて『侯爵 “Margrave(マールグラーフ)”』とになります。ま、そこら辺はざっくりすぎて申し訳ありません。国ごとに状況は違い、ドイツ(神聖ローマ帝国)あたりではまた違った動きがあります。

貴族というと、豪華なレース飾りに、馬車に舞踏会に……とついつい考えてしまいますが、本来は、国と王を守るための軍人であることが第一義です。

華やかな王侯貴族の誕生

更に時代が下がってくると、貴族も色々と拡大します。そして、騎士(武人)であり、王も部族を守るという立ち位置より、民を治め国を発展させるリーダーとしての役割へと変化していきます。この辺りから、貴族も武人より宮廷人としての意味合いが強くなってきます。

まず、王族の庶子達には、侯爵よりも上の位が必要となります。やはり身内は大切にしたいものです。
ローマ帝国最高司令官の官職の流れを汲んで、彼らに与えられた称号が『公爵 “Herzog(ヘルツォーク)”、または“Duc(デュク)”』です。

上から、王家の下に、公爵、侯爵、伯爵が揃いました。

そして、伯爵家の「副官」の地位にあると言う意味から『副伯』つまり 『子爵 “VisCount”』が派生します。勿論、国ごとに多少の違いはあります。
例えば、オーストリー帝国では「副伯」の地位はなく、「城伯」となります。

この子爵という称号には、基本的には領土が付随しません。
大体が、伯爵家の跡継ぎ(嫡男)による、『家督を継ぐまでの見習い期間の称号』という位置付けだったようです。つまり、子爵というのは、大人になったのだけれど、いつまでたっても(父親が現役のため)爵位を持てない青年貴族たちに、将来があることを保証しているようなものでしたが、その称号のままで相続による領土を持ったり一族をなすことも出てきました。

ということで、椿姫におけるガストン君は、将来的には伯爵になるご予定の嫡男ということか、または、あの呑気さを考えると、後を継げなかった嫡男の家の息子あたりかもしれないですね。資産を産む領土がないので、本来は収入はありませんが、バックに領土を持つ伯爵が控えている、または、なにかしらの収入手段を自分で持っているということが考えられます。

立ち位置の難しい男爵さま

最後は『男爵 “Baron(バロン)”または、“Freiherr(フライヘル)”』です。

これがまた面倒。子爵と違い、フランスでもドイツでもイギリスでも存在する爵位ですが、国ごとに成り立ちは微妙に違いますが、ざっくりとまとめると以下のようになります。

中世において、他の領主達とは違い、国王の直属の臣下として、自分で土地を有していたり、自由民の中で資産を形成した人たちの中から役職を持つような人たちを指す階級となりました。その後の中央集権が進む中で、いつの間にか同様に職や力を持った人たちとひっくるめて『バロン』と呼ぶようになったようです。
バロンは日本語においては『男爵』と訳されていますが、実際は日本の男爵とは大分様相が違うようです。

また、ドイツのFreiherrあたりは、少領主という扱いになっていて、他国のバロン達と比べると、更にもうひと段階下のクラスになります。

フランス革命なんかよりはるか昔から、男爵家といえば、お金がない。それはこの、領土を爵位に合わせて受領するのではなく、自分で稼ぐ、または自分で持った領土とは別に士官する必要があることが関係していると思われます。

ロッシーニの『チェネレントラ(シンデレラ)』の家も男爵家でしたね。もう、チェネレントラ(灰被り姫)ことアンジェリーナの持参金も使い込んでしまった貧乏男爵です。ここでよくあるのが、フランス革命前後に勃興したブルジョワジーたちが、婚姻や他の手段をもって身分を手に入れる、そうです、お金が入ったら次は身分ということで貴族の称号を手にしたくなった人たちによって血統の入れ替わりなどが起きています。

椿姫で登場する男爵は、そうです、ヴィオレッタのパトロン、ドゥフォール男爵です(バローネとしか呼ばれませんが)。そして、原作のデュマ・フィスの小説『椿をもった女性』ではそのお役目は公爵様でした。たしか、実在されたマリーさんのパトロンは伯爵でしたっけ?

このバロン、お話を通して見てみると、なんだかけっこういい人ですよね。駆け落ちされた挙句に、戻ってきたいという願いを受けてヴィオレッタをもう一度支援する。その上にヴィオレッタを侮辱したとして決闘をして怪我までしている‥。椿姫と決闘ということについては、ちょっと置いておきますが、どうもこの人のこと、嫌いになれないです。なんとなく、お金をたくさん手にして、男爵という身分も手に入れた、つまり、このドゥミ・モンドの世界からしてみれば、ちょっとこなれていないようなところも見受けられます。

称号貴族なあやしい人

その反対側にいるなぁと思うのがドビニー侯爵です。
こちらも舞台では「マルケーゼ」としか呼ばれませんが。椿姫の登場人物で一番高い身分を持った貴族です。
勿論、フランス革命を経たフランスの貴族ですから、どの程度の資産を持っていたかはわかりませんが、革命後のドサクサをうまく立ち回っていた場合は、先祖から譲り受けた資産を持っていた可能性もありますし、王政復古の折に元々持っていた領地を取り戻した可能性もあります。リブレットの端端に見られる言葉から、かなりの資産を持っていることは感じられます。

その上、この方、お家柄がいいだけのお坊ちゃんとは違い、ちょっとばかり胡散臭さも感じられて、とても楽しいです。どう見てもこのオペラの中で催される、ふたつの舞踏会を牛耳っているのはこのお方にしか見えないところがあるのです。今度フローラと侯爵の二人についても書いてみようかと思います。

【ちょっとびっくりな椿姫】

「椿姫」の中でも最近見た中で一番なんだかいろんな面で納得しちゃったDVDです。
好き嫌いはすごく出そうな気がしますが、とにかくすごい。アンニーナがとにかく上手い(そこ?)。というより、現代演出の嫌いな私が、これはこれで「あり」なんだと思ってしまった作品なのでここでご紹介して見ました。デセイには確かにヴィオレッタは荷が重い。でも、キャラクターの把握はとにかく深い。そして、侯爵さまの怪しさったらもう(笑;;;; いや、そこじゃない。

【Traviata:Vol.4】高級娼婦の系図

コルティジャーナの系譜

なんだかずっとクルティザンヌにこだわっているようなんで恐縮ですが。

かのオペラ研究家、故永竹先生が書かれたご本で『オペラになった高級娼婦〜椿姫とは誰か〜』というものがあります。
その中で先生は高級娼婦文化は人類史上3回のみ発生していると仰っています。

■一回目■

古代ギリシア。 アテネでは貴族達が哲学の話をするサロンに集まることがいちばん「イケてる」ことでした。半裸の男性が酒飲んじゃ哲学談義ってどんな状況なんでしょうか、流行ってる時はとにかくそれが一番かっこよく見えるんでしょう。
通常、そういうところは細君であっても女性の立ち入りは禁じられていました。そして、唯一、『ヘタイラ』と呼ばれる高級な遊女のみが立ち入れたということが残されています。
まあ、かつての永田町あたりでは赤坂の高級料亭で政治が行われ、そこに立ち入れるのは芸妓と女将という『プロの女性』だけ、というようなところでしょうか。

さて、一方、アテネ市民とは『アテネ市民との婚姻で産まれた子供』しかなれません。
そのため、女性を

  1. 嫡子(市民)を産んで育てる役割の正妻
  2. 通常の身の回りの世話をする側室
  3. 正妻を持つ事ができない貴族以外の男性を平等に面倒見る娼婦
  4. ヘタイラ

とわけたそうです。

ヘタイラとは『外国人であり、美貌と教養を持ち、子供の世話や日々の世話をするようなことにとらわれず男性と同等の知恵と知識を持ちサロンにつれて歩ける女性』という存在だそうです。元々の言葉の意味も(連れ)という意味から発生したと言われています。なんでまた「外国人限定」なんでしょうね。
さて、ローマではどうしてこういった文化が残らなかったのでしょうか?

それは「異民族の集合体であること」と「女性が強かった」から。

サビーヌの略奪の歴史に見るように、自分の夫を守るために父や兄の軍隊の前に飛び出す勇敢な女達が居るくらいです。
ギリシャ型正妻なんざ、やってはくれません。
なので、アテネ没落後はヘタイラ文化は消えました。

さらにローマがキリスト教化されることで自然神崇拝のおおらかな人々を、キリスト教的戒律で雁字搦めにしたお陰で、女性はあくまでも原罪として表舞台にできるだけ出ないようにされてきたのです。

それなのに二回目がある。 どこで?

■二回目■

それは『ルネッサンス時代のローマ』です。なんと!仇敵、キリスト教の総本山で発生するのです。

『コルティジャーナ』。
クルティザンヌの語源ともなる言葉で、『宮廷貴婦人』とでも訳しましょうか。
法王庁で当時多くの人文学者や知識階層があつまり自由な討論が繰り広げられたのですが、さすが法王庁は(裏はどうであれ)完全な男社会です。

また性懲りもなく「なんだかオトコだけじゃあどうも殺風景だねえ。」って誰が言いだしたかは知りませんが、やはり女性を配しましょう!ということになりました。

参加者の夫人や娘達はそれなりに教養はありますが、さすがに独身だらけの法王庁サロンには出入りしにくい。
そうなると、知恵を絞るモノには天啓がくだされるのです。

そうだ!古代のヘタイラを復活させよう!!
だって、『ルネッサーンス』だもんね。

かくして、庶民の中で美貌(なんで必要なんかな……)と頭脳が明晰な少女達を選び出し、徹底して教育をして育て上げた結果、最上級の宮廷婦人、コルティジャーナが完成します。

彼女達はサロンに出入りする貴族達の愛人としてどんどん成功を収め、引退の年頃になる頃にはひとかどの財産を築き上げるものが多かったと言われます。

そのためどこかの国のステージママのように、自分の娘がちょっと可愛いとなると、やっきになってコルティジャーナにならせるべく目の色をかえるようになりました。

ああ…… 当然風紀が乱れますよね。 深読みしなくても。

そのせいとばかりは言えませんが、原因のひとつとして宗教改革の嵐が置き、法王庁からコルティジャーナ達は追放されます。
そして、宗教からも政治からも自由な唯一の都市、ヴェネツィアで再度花開きます。
ヴェネツィアでは、コート(宮廷)や法王庁はありませんので、自分の才覚だけでサロンを開き、そこであらたな文化を広めます。
塩野七生さんの小説「緋色のヴェネツィア」「黄金のローマ」では、この時代のコルティジャーナを重要なキャラとして扱っています。
歴史物で有名な塩野さんですが、この三部作は軽いミステリータッチの読み物としてもとても面白いのでお勧めです。

当然、ヴェネツィアの没落とともにその存在も消えて行ったのです。

■三回目■

これは言わずと知れた、椿姫の舞台となった1830年代〜45年頃のフランスです。
パリのクルティザンヌと比べると、前期2回の方がすごみがあったような気もしますが、きっとそれは社会の中で、他の手段をもって女性がのしあがる選択肢が増えてきた、ということになるかと思います。

日本の花魁、特に吉原や京都の島原の太夫にも通じるものがありますが、似て非なる最も大きなところは、花魁の所有権はあくまでも店が持っていたのです。

すべて三回とも、女性そのものの所有権はあくまでも、女性本人が持っていたということです。

【Traviata:Vol.3】ルイルイ♪は「太陽の金貨」

鹿島茂さんという方の「馬車が買いたい! (白水社 ) 」と言う本があります。

当時の生活ぶりを、「ゴリオ爺さん」や「レ・ミゼラブル」等の登場人物を通して解き明かしていてとても面白いです。

フランスではどの時代でも生活水準の目安となるものがパンの価格だそうです(へーーー)物価指針と言う奴ですね。日本の米価になるのでしょうか?

ちなみに、1キロのパンが8スー(4/10フラン)だったそうです。1キロのパン=バケット4本分にあたるそうです。

Fresh sourdough bread on farmers market

ざっくり省略しますが、それを試算すると、当時の貨幣価値がだいたい、1フラン1000円程度(著作が1990年で、重版が2009年、さてどちらのレートかしら?)になるそうです。

現在から見ると物価は多少上昇しているのですが(日本の統計局の物価指針を見ると、まあ、ものによってなんですが、ほんのちょっと高いです。あ、パンはやたら上がっていますが、フランスはそれほどでもないようです。)、判りやすいので、採用いたしましょう。

補助通貨はユーロになるまでつかわれていたものと同じ、サンチームです。(1/100フラン)

ただ、この頃は色々な時代のお金が平気で乱立していました。

たとえば、リーブル。(ベルサイユの薔薇ファンの方ならおなじみですよね)これは当時まだ現役です。

金貨の重さで言えば、本来は1フラン=1.0125リーブルにあたるのですが、フランの金の含有量が下がったため、1フラン=1リーブルとなってしまいました。

その、リーブルの補助通貨としてのスー(1/20リーブル)は、ボエームの舞台、カルチェラタンでは大手を振っていました。

そのほか、エキュ(1エキュ=3フラン)、ルイ(20フラン相当の金貨、当時はナポレオン金貨を指していたようですが、本来はアンシャン・レジームのルイ金貨を指します。)などが混在しています。

特に、ルイやエキュは単純に金貨・銀貨を指し、財産を意味したようです。

Photo by Public Domain Pictures

ということで……

さて、ここで気になるのが、アルフレードが賭けに使ったお金です。演出では よく懐から札束を出しているようなんですが……

100ルイを右へ、とか、左へ……というときの「ルイ」は金貨となるはずなんです。でも、金貨の袋持ってきていたんでしょうか?

実は、当時の賭博場では掛け札の代わりをルイ金貨がしていたから。つまり、現在でもカジノで使われるチップ、あのような感覚のようです。

つまり、100ルイを、という時は2000フラン(200万円)を出してというように……

ん?

わーーーー  ちょっと待った!!アルフレード。
どこからそんなお金持って来た!?

いえいえ、最初は、どれだけ賭けていたかは判りませんので、ホンの1ルイくらいから賭けてここまで増やしたのかもしれないですが……(それでも2万円だけれど)
何度も勝って、もしかして、男爵が賭けに加わった頃に、ちょうど手持ちが100ルイ位だったのかもしれません。

それでも少なくとも、男爵とのやり取りで300ルイ=6000フランは勝っています。その前の手持ちと勝ち金を合わせると、500ルイ=1万フラン(1000万円)くらいは持っていたのでしょうか。

ところで、1840年代、『紙幣』は100フラン・200フラン・500フラン・1,000フランの4種類が発行されていたそうです。

ただ、40年代に追加された100と200がこの時既にあったかは残念だけれど判りません。まあ500フラン札(5万円相当)を使ったとすると20枚程度になりますね。
ヴィオレッタの顔に叩き付けるにはどうでしょう? 多い?少ない??

ところで、たしか、アンニーナがアルフレードに不足分は1000ルイと言っていましたよね?  つまり、2万フラン……

たりないじゃん!

【馬車は貴族の必須アイテムです】

「椿姫」の中でも印象的なシーン、アルフレードが札束を投げる。でもそのお金、現在だったらいくらくらいかな?と思ってみると。
現在の各社界なんか吹っ飛ぶほどの格差社会のあの時代、必須アイテムを買うとしたら‥ ぜひぜひご購入をお考えの方はご参考に。。(なるか〜い!!)

クルティザンヌはお金がかかります

【Traviata:VOL.2】クルティザンヌのこと

Vol1から随分と時間が経ってしまいました。
前回は、ドゥミモンドと新興貴族のお話を致しました。これは儲けちゃってこまっちゃった人たちのお話でしたね。今回は「クルティザンヌ」のことを描いていきたいと思います。

クルティザンヌはお金がかかります
Photo by Marta Branco

ここからは「ラ・ボエーム」の『【Vol.5】グリセットのお話』で既に書いたことの復習です。
この時代、貧しかった労働者階級は更に貧しくなり、(フランス革命前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)娘達は田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。ここまではいいですね。

有り難いことに?フランス革命でキリスト教が断絶した時代の申し子たちの子供達、つまり、キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の2世代目です。身を売る事についての罪悪感の薄さったらありません。かくして、大勢の高級娼婦予備軍の娘達が誕生します。

この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、資産家の紳士や老いた貴族の当時の流行のひとつでもあった「自分が最高級の女を育てる」遊びの対象として選ばれて教育を受けさせてもらえます。

これって マイ・フェア・レディ、それともプリティ・ウーマンのようですね。いつの時代も男性の夢なんでしょうか?現代の紳士の皆様ってどうお考えなのかな?ちょっと問い正してみたいもんです。

まあ、それはさておいて、こうして美しさと知性と教養で溢れた上に、モラルの欠如した貴婦人が誕生します。 これがクルティザンヌの素です。この素が、花から花へパトロンを渡り歩き、自らの館と馬車とパーティを持つようになって一丁上がり、クルティザンヌが完成します。

ここらへんまでなんとなく「ラ・ボエーム」のミミとも似ていますね。そうです。ボエームはほぼ同じ時代のお話になります。
そして、ミミはここではクルティザンヌにまでは成り上がれない、気立ての良いグリセットでしたね。

完成したクルティザンヌたちは堂々と貴婦人として馬車を駆け、劇場にも顔を出します。

ただ、一つ行くことができなかったのが正式な社交界の場であり、正妻達のいるパトロンの自宅です。子供が産まれても、私生児としてしか扱われません。ヴィオレッタのモデルとなった マリー・デュプレシも最初の子供を私生児とされたことで初めての真剣な恋が壊れ、自暴自棄な生活に拍車がかかります。

その後、また別の機会に書こうと思いますが、もうひとつの本気の恋をしますが、それを成就させるために別の男性と結婚をして正規の身分を手に入れようともします。恋ひとつするために大変な努力をすることになるのです。

いやもう、マリーから見たら、アルフレードの腕の中で死ぬことができたヴィオレッタって羨ましい限りなんじゃないかしら。。。。

【不朽の名作は押さえておこう】

オペラのタイトルは「椿姫」ではなく「道を踏み外した女」です。それでも日本では「椿姫」と訳されて愛されているのは、ひとえに、アレクサンドル・デュマ(息子)の、この切ない小説のタイトルをそのまま持ってきたからです。ここではヴィオレッタではなく、マルグリット・ゴーティエと名前は変わり、純粋に恋したのはアルフレードではなく、作家のデュマ・フィス。こちらも一度は読んでおきたい原作です。

少年僧侶たち

【Turandot:VOL.5】茉莉花唄う謎の少年集団ってなに!?

第一幕、謎解きに失敗したペルシャの王子が処刑される前、最後に、一目焦がれ続けたトゥーランドット姫の花の顔を拝むことが許されるシーン、大衆からの「お慈悲を!」コールに応えて姫が姿を現します。まあ、お慈悲をきっぱりと拒絶されるわけですが。
少年僧侶たち

ここで、姫が登場する前、少年少女合唱が登場します。こちらがちょっと不思議な存在です。通常の少年少女合唱は大衆を構成する一要素として登場することが多いのですが、この少年たちは違います。さて、何者なんでしょう。Wikipediaには「ラマ教の修道僧」との記述が見つかりました。ただし、日本語のWikipediaにだけです。と言う事は、Wikipediaの編集員がどこかで見つけてきたものか翻訳したもので、原本がどこかにあるはずですね。

子供たちの合唱が登場するシーンのリブレット画像それで探したのですが、見つかりません。誰か、ご存知でしたらお教え下さい!
少年少女合唱団が何者か?楽譜、原作…どこにも書いていません(あ、見落としただけかもしれませんが)。ただ、台本にヒントがありました。(Ricordi, I libretti d’Oera”Turandot”より引用)
合唱団が「Pu-Tin-Pao!」を連呼した後、少年少女合唱団が歌う前に、ト書きがあります。

「金色の背景(背景を描いた幕)は、青白い銀色に変わる。月の冷ややかな白さが、(紫禁城の)斜堤、街に照り返す。城壁の扉に、黒いチュニック(長上着)を着た衛兵が現れる。
悲しい葬送歌が流れて来る。歌う少年たちの集団(列)に先導されて、行列が進み出る。」

如何でしょう?
「Là sui monti dell’Est」は葬送歌だった!?それも”Una lugubre nenia” の “nenia(ネーニア:葬送歌)”の前に ”lugubre(ルーグブレ)”と言う形容詞(悲しい、いたましい、哀れをそそる、陰惨な…小学館伊和中辞典より)をわざわざ付けています。この歌、皆さんは悲しく感じますか?

この旋律は、トゥーランドットと関連がある時にしか現れないので、彼女のライトモチーフとして使われている面はあります。彼女の「残酷さ、冷たさ」ではなく、もう一面の「純粋さ、神々しさ」を表しているのかも知れません。

それは兎も角、葬送歌を歌いながら現れる集団は、勿論、お葬式に参加している人達です。そこで子供達が、先導隊として歌を歌う、どう言う場合でしょう?そこに居るのは、通常、家族・親戚…あとは、ご町内の皆さま。
でも、このシーンで死に赴くのはペルシャの王子。ペルシャ王家に関わる子供達が、遠く離れた北京に居るのは不自然です。居る設定なら、プッチーニは、わざわざ中国の江蘇省の民謡「茉莉花」を持って来ないでしょう(この曲は、中国の民謡から取られています)。彼なら、ペルシャの音楽を使うと思います。とすると、この子供達は、現地(中国)の子供達と考えるのが、自然です。

ペルシャ王子の親戚でもない子供達が、彼の葬送の為、歌いながら行進してくる…何故?

これには、出家した子供達だから…と考えると、筋は通ります。

仏教の中でも、ラマ教(チベット仏教)は、出家制度があります。ご当地に詳しい方に伺ったのですが、同じようにビルマの子供達も必ず一生に一度は出家するそうです(ビルマの仏教は、チベット仏教とは、宗派は違うんですけど)。

なるほど。。。なんとなく筋は通りますね。

そして、このペルシャの王子は、トゥーランドット姫の(ある意味、皇帝の)命令により死罪となる訳で、その点では、国の行事?としての(ペルシャ式ではない)葬送です。でも、それが何故、仏教の中でもラマ教なんてちょっと微妙なところになっているのでしょう?

そう言えば、チベット仏教には、転生の考え方があります。化身ラマ(転生ラマ)です。例えば、ダライ・ラマは生まれ変わる、とされています。

ここでワタクシが思い出すのが、トゥーランドットのアリア「IIn questa reggia(この王宮で)」です!そう、ロウ・リン姫です!このアリアの中で、トゥーランドット姫は

“qui nell’anima mia si rifugiò!”

(ロウ・リン姫の絶望の叫びが)ここ、私の魂の中に、避難して来た(宿った)!

“oggi rivivi in me!”

(ロウ・リン姫は)今日、私の中に、生き返っている!

と言っています。魂の転生です!

……あ、プッチーニはなにも書き残しておりません。念のため。

転生する仏の化身といえばこちら

映画「リトル・ブッダ」 Blu-ray,DVD
ベルナルド・ベルトルッチ (監督)

高僧の生まれ変わりとして選ばれ、ブータンへと旅立つ少年役の、この一作しか映画に出演していないアレックス・ヴィーゼンダンガーがたまらなく可愛らしく、また、キアヌ・リーブス演じるシッタータ太子の登場シーンの美しさが印象的。輪廻を考える前にその世界観に魅了される、一度は観ていただきたい映画の一つです。

【Turandot:Vol.4】姫さまの名前は「朶」!?

トゥーランドットという姫の名前なんですが、どうにも中国の姫のような気がしないんですよね。どこの名前なのかしら?とずっと不思議でした。
ムーラン、という映画があります。これは中国の伝説的な佳人で武人「花木蘭」をモデルにしたディズニーのアニメーションですが、個人的には花木蘭とムーランがなかなか結びつかなくて、あるときに「木蘭」=「ムーラン」と気づいてびっくりしました。

京劇 姫君
Photo by Jimmy Chan

※ここからは妄想です。しばらくお付き合いください。

『ではでは、トゥーランドットのトゥーランは「トゥー」+「蘭」なのか!ムーランがマグノリアなら、トゥーランは「钍蘭tǔlán(シンビジウム)」ではどうだろう?綺麗じゃない?
ふむふむ、となると「ドット」はなんだ??そうだ、この間読んだ小説の皇后の名前は独鈷だったな。中国には珍しい二文字姓だけどよくない??。そう、家名。西洋式にひっくり返っているとなると、「トゥラン・ドッコ→独鈷钍蘭」なんていいかも』などと、色々と妄想しておりました。 —–以上 あくまでも妄想です。

閑話休題。1998年に張芸謀監督が演出をした際に、「中国公主杜蘭朶(Zhōngguó gōngzhǔ dù lán duǒ)」と記載されていたそうです。

おお、中国人が選んだ漢字がある!
となるとわかりやすくなりますね。(いや、こんなに前のことだったんですね。もっと早く気付けよ、です。)

「中国公主」とは、中国のお姫様の意味です。

「杜蘭」「朶」と切るか、「杜」「蘭朶」と切るか悩みどころなんですが…(台湾のホテルに「馥蘭朶春秋烏來」という名前のホテルがあったり、小説家に「塁 蘭朶」という方もいらっしゃるようで、「蘭朶」と切ることもあり、なのでしょうが)一応、ここは「杜蘭」で切ります。原典といわれるペルシャの物語(オリジナルは散逸しているようです)では、姫の名前は「トゥーランの姫君」となっているだけで「トゥーランドット」という名前は、フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワの『千一日物語』(こちらもすでに失われているようです)か、ゴッツィがヨーロッパに紹介するときに付けたようです。「ドット」はどこからきたんじゃい!

「杜蘭」という言葉、調べてみると「石斛(セッコク:デンドロビウム)」の別名のようです。「朶」とは「花」「輪」の意味(辞書によって変わります)。石斛とは蘭科の植物で、生薬にもなるようです。薬効はざっくり言って「消炎、強壮強精剤、および美声薬」とあります。「滋養強壮力のある美声にも効いちゃうお花」な姫君です。そっか。だからテノールがみんな一目惚れするんだ(ペルシャの王子もカラフもテノールです)。トゥーランのお姫様は、薬というより毒に近いとは思うんですけれどねえ。英雄と出会うとちょうどいい感じの薬になるのかもしれません。

とはいえ、これはあくまでも張芸謀監督が選んだ漢字。もともとはおそらくそんなことは全く考えてなかったのか、ペルシャで生まれた昔話ですから根本から違うようです。(先に書いておけと…)

トゥーランドット(元となった昔話の名前ではトゥーランドフト)とは「トゥーラン国(ラテン文字: Tūrān, ペルシア語: توران‎)」の「娘 (ペルシア語:دختر、ドフトル) 」からきているそうです。
欧州FAQ「ハンガリーの質問:トゥラニズム」

また、トゥーランドットについて、色々と書かれている多くの方が引用もしている「香川大学経済論叢『トゥーランドット物語の起源』」にもフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de la Croix:1653~1713)の『千一日物語』(Les Mille et un Jour)の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」(Histoire du prince Calaf et de la princesse de la Chine)についての解説として「トゥーラン(トルキスタン)」+「フランス語の学者という意味では?」として書かれています。この研修ノートは大変面白いのでぜひご一読をお勧めいたします。
っていうより、この文書があればこっちのブログいらないじゃん。。。。。 orz

今回は本当に役に立たないお話ですが、表意文字の漢字で書かれる人の名前って面白いですね。

Turandot チャン・イーモウ演出の世界

【ちょっと違った角度から見るトゥーランドット】

トゥーランドット~チャン・イーモウ演出の世界~

1998年に北京の紫禁城(オペラでも紫の城として登場していますよね)で上演したオペラプロジェクト、張芸謀監督の挑戦を追ったドキュメンタリー映画。
指揮者 ズビン・メータが中国、紫禁城でのオペラプロジェクトの演出家として白羽の矢を当てたのは、映画監督、張芸謀だった。。。

Liù

【Turandot:Vol3.】リュー、強い子泣かない子。

Liù
Photo by Some Tale : unsplash

トゥーランドットで、主役のトゥーランドット姫よりも人気のあるリュー。

王子がかつて一度だけ微笑んでくれたからと言うだけで(一目惚れしたってことなんだとは思いますが)、目が見えなくなったティムールを支えて、遠くアストラハンから北京まで(どうして北京なんだかわからないけれど)逃避行を続け、王子の幸せのために老人のティムールをかばって拷問を受け、挙句に自殺して果てる。ああなんてかわいそうな、そして健気なリュー…
あ、でもちょっと待ってください。リューは、前回もお話ししましたが、あんな遠くから、目も見えない、また、お尋ねもの(負けた国の王なんで)の老人を連れてですよ、若い娘が護衛も連れず長い長い旅をしているのです。そんな。今と違って街や邑を離れた街道は追い剥ぎやら山賊の宝庫ですって。
戦って倒した相手も 一人や二人ではなかったでしょう。いや、そのくらいの気概がなきゃ、まず速攻に捕まって売り飛ばされていますって。

一方、どのオペラの解説を読んでも、プッチーニが特別にリューに対して思い入れを入れた結果、彼女があまりにも巨大になってしまった、ということは話されています。その結果、リューの性格がひっくり返ってしまったこともあるようです。

リューの有名なアリア、「お聞きください王子さま」
切々と美しいピアニッシモで歌われる名曲ですよね。リューの切なさ、愛らしさ、健気さを象徴するようにも思いますが、オリジナルのリブレットでは、ちょっとばっかり違います。

現在のリューのアリアにあるト書きはこうなっております。
  avvicinandosi al Principe, supplichevole, piangente
  王子に近づきつつ、哀願する様に、泣いて

その後有名な「 Signore ascolta! (王子さま!お聞きください)」と始まります。ところがリブレットでは違います。
あ、リブレットですよ。原作ではありません。原作にリューは登場しませんから。(リューの代わりに数名の女官は出てきます)

 reprimendo le lagrime, con ferma promessa
涙を抑えつつ、決然たる誓いをもって

Per quel sorriso,
si’ … per quel sorriso Liu’ non piange piu’ !…
Riprenderem lo squallido cammino domani all’alba
quando il tuo destino, Calaf, sara’ deciso.
Porterem per le strade dell’esilio,
ei l’ombra di suo figlio io l’ombra d’un sorriso.
あの微笑みの為に、
えぇ…、あの微笑みの為に、リューはもう泣きません!
明日の夜明け、カラフ、あなたの運命が決まる時に、
私達は、物悲しい(悲惨な)歩みを再び始めましょう。
亡命の道に、彼(ティムール)は息子の(悲しい)影を、私は微笑みの影を担って(背負って)。

えーと。この歌詞を読むと、どう読んでもカラフ(名前呼んじゃってるし)が勝とうと負けようと、どっちにせよ自分にとって残酷な結果は見ることになる前に、『あなたのあの微笑みを胸に、私たちはまた旅立ちましょう』と言っています。あ、そうなんだ。止めないんだ。。。。。

そして、そのままだったらリューのアリアのあとにある「泣くなリュー」という身勝手極まりないカラフのひとくさりなんですが、実際は、このアリアの前に出てきます。つまり、この歌は「もう泣くな」とカラフに言われたので、そのアンサーソングとしての立ち位置だったようです。「泣くな」「わかった。もう泣かない」もう泣かないリューとなっていたはずなんです。まあ、ここで、リューちゃんがティムールの手をひいてスタスタと去って行ってしまったら、その後のカラフの「泣くなリュー」から始まる合唱まで巻き込んでの感動的な一大コンチェルタートにはならなかったでしょう。

ちなみに、音楽そのものは同じです。ただ、半音上になっていたそうです。最後の音がHとなります。現在の[Ah pieta’!]の終わりのB音は、もう一箇所の[sorriso]と対になっています。
本来の音だったら、あんなにたくさんのフラット記号がなく、音取りに苦労しなくてよかったのにね…

そしてこのリブレットを「絶対に嫌!!」と言って変更させたのが、そう、プッチーニなんですよね。

プッチーニはトゥーランドットだけではなく、ボエームに対しても、トスカについても多大なリブレットへの介入をしたことでも知られています。トゥーランドットは、「つばめ」でもタッグを組んだジュゼッペ・アダーミとジョルダーノの『マダム・サン=ジェーヌ』を書いたレナート・シモーニが担当しています。イッリカやジャコーザほどの大物ではないので、遠慮なく介入しております。そのため、リューはカラフの決心を聞いて受け入れ、「それでは私、これからティムール連れて旅に出ます」の代わりに「お聴きください。王子さま。私はもう耐えられません。」と縋り付かせます。 ま、いいんですけれどね、そのおかげで素晴らしい音楽ができたのですから。

ちなみに、彼女は楽譜の上では LIUと記載されています。これって日本人にはとってもめんどくさくて嫌な話ですし、人によって リューだったり、リゥだったりしているなあ〜と個人的には気になってたまらなかったのです。こちらは簡単。プッチーニが回答を手紙に書いています。

「リューは2音節にはしない。1音でリューと発音」だそうです。
Turandotの解説書

【英語ですがよろしければ】

Puccini’s Turandot (Princeton Studies in Opera)
William Ashbrook (著), Harold Powers (寄稿)
二人の音楽家による プッチーニ作曲トゥーランドットについての解説書です。この文のネタを頂戴しております。ありがとうございます。

China

【Turandot:Vol.2】そもそもティムール達って、一体どこからきたの?

China
Photo by Suzy Hazelwood

トゥーランドットとは、当時のヨーロッパの人々にとっては、「ほとんどの人が見た事もない国々の人の話」です。
私たち日本人にっとても、実は知らない国々かもしれないですね。例えば、名の知れぬ王子(カラフ)、その父ティムール、そしてリューは、何処から物語の舞台となった北京にやってきたのでしょうか?姫も単に「外国人!外国人!」と呼んでいますよね。どこの国からきたのでしょう。気になりませんか?

これは、プッチーニの楽譜の何処にも書いてありませんが、原作とされるカルロ・ゴッツィの『トゥーランドット』には書かれております。

ティムール:Astracan の王

イタリア語だと「アストラカン」と発音しますが、日本では「アストラハン」と発音します。
ついでと言っては何ですが、現在はロシア領になりますので、現地の言葉では「Астрахань アーストラハニ」ラテン文字転写では、「Astrakhan アストラハ-ン」と呼びます(しつこい??)
カスピ海の沿岸部です。

こーんなところ。


めっちゃ、遠いっ!!!! … ヨーロッパに逃げた方が、近くね?

ちょっとGoogle Mapで経路検索してみたんですけれどね。

アストラハンから北京まで電車で移動すると7日以上?
〔GoogleMap経路検索結果〕

列車で7日22時間(笑)。こんな所から、目の見えないティムールを連れ、北京まで「歩いて」来た!?
それも、王位を追われた者が、どんな悲惨な運命を辿るか?は多くの歴史が語る通り。ティムールとリューの逃避行は、どんなに大変だったでしょう。
ってか、リュー、すごすぎ!!

これは昔、とあるリュー歌いさんとお話しした時に、その方曰く、「この女(リュー)、北京に来るまでに、何人かは殺ってると思うんだよねぇ…」  (^◇^;;;;;

めっちゃ中国らしい演出って素敵かも
歌劇「トゥーランドット」全3幕/チャン・イーモウ演出 [DVD]
出演:ジョヴァンナ・カゾッラ(トゥーランドット) (出演), ニコラ・マルティヌッチ(カラフ) ,アレッサンドラ・パッチェッティ(リュー), サイモン・ヤン(ティムール)他チャン・イーモウらしい華やかさが魅力な映像です。
2003年ソウル、ワールドカップ・スタジアムでの一大スペクタクル!
フィレンツェ歌劇場・中国国立北京オペラ、韓国アレーナ・オペラ・フェスティヴァル共同公演。

【Boheme:Vol.6】ハートに灯をつけて

ご存知、ボエームの第一幕。 ミミとロドルフォの出会いのシーンは 蠟燭の火がきっかけになりますね。蠟燭って暗いんですよ……

蝋燭を持つ乙女
Photo by cottonbro

季節はちょうどクリスマス頃。 ヨーロッパは緯度が高いせいもあって、冬はとても早い時間に暗くなってしまいます。 今頃だと17時には真っ暗です。
そして、これはまた別の機会にお話しようと思うのですが、ロドルフォの部屋は西向きなんです。
まだ、最後の夕陽があたって 赤く空を染めている頃、そう、16時頃でしょうか?窓際に置かれたマルチェッロのカンバスはまさに紅に燃える紅海だったのでしょうね。
その後、ショナール、コッリーネが現れて、ベノアを追い払って…… ミミの登場は 17時から18時頃になっていたかもしれません。
もうその頃は真っ暗です。 当然、明かり取りのない屋根裏部屋に続く階段は真っ暗。 コッリーネは階段を落っこちてしまいます。あーあ。痛そう……

ヨーロッパの大きな建物の多くは屋根裏部屋を持っています。 古い貴族の館等の場合、屋根裏などに続く階段は、館の中のものとは別に専用の小さい入り口を持ち、暗い階段を使って直接上に上がるような仕組みになっているところもあります。 ちょうど歌舞伎座の大向こうやスカラ座の天井桟敷につづく階段のように。
物語の舞台となった彼らのパラッツォはどんな規模かは判らないですが、そこそこの大きさはあったと思われます。 だって門番雇っているくらいですから。
ドアの処に門番が居て、帰ってくる住人のために灯りを用意しておいたりするはずが、どうやらショナールの罵り声「Maledetto portier!(忌々しい門番め!)」からすると、サボって灯をともしていないどころか、どこにも居なかったのかもしれません。

帰ってきたミミも門番に灯を貰えなくて手探りで階段を登っては来たものの、真っ暗な廊下で鍵をあけられずに困っていたのでしょう。
そこへ隣家のドアが開き、3人の若者が飛び出して行ったのです。そして灯りがもうひとつ、部屋の中に……やった!!灯りが貰える。

ミミの部屋とロドルフォの部屋の位置関係は台本や二人のセリフの端々に見えてきます。

ちょうど階段の登り切ったすぐの処、西側がロドルフォの部屋になるようです。勿論屋根裏部屋です。
ドアは階段に向かって開くようです。なぜなら、コッリーネもショナールもミミがそこに居る事に気付かなかったのです。
いくら真っ暗でも人の前を通ったら、それも若い娘さんの前を素通りできるようなマルチェッロ達じゃあありませんよね。残念なことに、ドアをあけても、奥の方は陰になってよく見えなかったのでしょう。
そして、そのドアの前を通り過ぎた反対、つまり東側の部屋がミミの部屋のようです。だからミミからは皆が降りて行ったことも、最後にひとり残ったこともちゃんと見えていたのです。

さあ、ちょっと勇気だして蠟燭の灯を分けてもらいましょう。

え? ライター??? ないですないですヾ(^_^;;
ロドルフォも第一幕で、戯曲を燃やすストーブの火をつけるのに火打石を使っていますよね。
さて、マッチが発明された時期をいつと見るのはちょっと難しいのですが、一般的にイギリスのジョン・ウォーカー氏が硫黄をかぶせた軸木を2枚の硝子粉紙の間にはさんで発火させるマッチのモトを発明したのが起源と言われています。これが1827年のことです。
その後1831年にどこで擦っても簡単に発火する黄燐マッチがフランスで誕生。このフランス生まれのマッチによって、ようやく人類が原始時代に別れを告げたわけです。
ちょうどボエームの時代には、まだ産まれたてほやほやのマッチです。 高価すぎて貧しい学生やお針子なんかが簡単に買う事は出来ません。
ということで、蠟燭についた火はとても貴重なのです。そして とてもほの暗い。
お互いの顔を見ることはできるけれど、足下におちた鍵を探すのはとっても無理なくらいだそうです。実証した人から聞きました。
特に、外のネオンや近所の電気の灯りなどない時代です。(部屋中の待機のランプだってないですよ)静寂と闇が支配する中、オレンジ色のやさしい光の中に姿がみえて、なんてロマンチックと言った方がいいか危ないと言った方がいいか……
簡単に恋のひとつやふたつ、始まってしまいそうですね。
ライターやマッチ、簡単に点火できる、というより電気やらLEDやらの灯りで暗闇のほとんどない現代では、なかなかこういう素敵なチャンスには巡り会えなさそうです。

【こんな可愛いミミが来たらどうしよう…】出演: アンナ・ネトレプコ, ローランド・ビリャソン, ニコル・キャベル, ジョージ・フォン・ベルゲン,
監督: ロバート・ドーンヘルムプッチーニ生誕150周年記念作品。めちゃくちゃ可愛かった若きネトレプコが当時ベストカップルだったビリャゾンとがっつりタッグを組んだボエーム。若々しくそれゆえに切ない素敵な映像です。

なお、マッチの歴史が木になる方はこちらをどうぞ
「マッチの歴史 大和産業株式会社」

【閑話休題】名前小ネタ

ボエームといえば、若者の群像劇です。なので、基本、登場人物は皆若者です。もちろん、農家のおかみさんや物売り、モミュスのお客には年をとった人も出てきますが、名前のある人は若者が基本。その中で、名前はあるけれど若くない人間がふたりいます。ともに、若者から見たら最も忌むべき人間です。つまり、年を取り、小金を持ち、愛ではなく女を連れ歩くことを喜ぶ、彼らとは真逆の人たちです。1幕の大家さん、ベノア、2幕のムゼッタの愛人アルチンドロです。それだけで若者たちのあざ笑いの種になっています。 4幕にはムゼッタやミミの愛人らしき人はいたはずですが、彼らをあざ笑ったりする心のゆとりがもうなくなっていたのでしょう、名前も影も見えてきません。

§ベノア

1幕で3ヶ月分の家賃を請求にきたのに、安いワインで酔わされ、ついつい若いグリセットとデートしていることを白状させられた結果、家賃踏み倒されてしまう気の毒な老人です。
そもそもは、フランス起源の名前です。原作でも、ブノワとしてそのまま出てきます。イタリア語では「Benedetta: 祝福された」という意味があります。
クリスマスの晩に、3ヶ月分の家賃を取り損ねるのだから、ボエームに於いては、当然、アイロニーに満ちた名前ですね。

§アルチンドーロ

2幕でムゼッタにルル!と子犬のように呼びつけられている、お金持ちで、身分もありそうな紳士です。二人だけの時には、きっとルル!と呼ばれると ワン♥とでも答えていたのでしょう。

アルチンドーロとは、Alcindo と Oro とに分けられると思われます。Alcindo は「強い性格」と言う意。Oro は「黄金」と言う意味です。いかにもプライドが高くて小娘(ムゼッタ)に引きずり回されること自体、憤懣やるかたないというのがよくわかります。 ということで、ムゼッタを含む若者たちにとって、体良く追い払った挙句、モミュスの払いくらいさせても良心の欠片も痛まないところなのです。