第一幕、謎解きに失敗したペルシャの王子が処刑される前、最後に、一目焦がれ続けたトゥーランドット姫の花の顔を拝むことが許されるシーン、大衆からの「お慈悲を!」コールに応えて姫が姿を現します。まあ、お慈悲をきっぱりと拒絶されるわけですが。
ここで、姫が登場する前、少年少女合唱が登場します。こちらがちょっと不思議な存在です。通常の少年少女合唱は大衆を構成する一要素として登場することが多いのですが、この少年たちは違います。さて、何者なんでしょう。Wikipediaには「ラマ教の修道僧」との記述が見つかりました。ただし、日本語のWikipediaにだけです。と言う事は、Wikipediaの編集員がどこかで見つけてきたものか、翻訳したもので、原本がどこかにあるはずですね。
それで探したのですが、見つかりません。誰か、ご存知でしたらお教え下さい!
少年少女合唱団が何者か?楽譜、原作…どこにも書いていません(あ、見落としただけかもしれませんが)。ただ、台本にヒントがありました。(Ricordi, I libretti d’Oera”Turandot”より引用)
合唱団が「Pu-Tin-Pao!」を連呼した後、少年少女合唱団が歌う前に、ト書きがあります。
「金色の背景(背景を描いた幕)は、青白い銀色に変わる。月の冷ややかな白さが、(紫禁城の)斜堤、街に照り返す。城壁の扉に、黒いチュニック(長上着)を着た衛兵が現れる。
悲しい葬送歌が流れて来る。歌う少年たちの集団(列)に先導されて、行列が進み出る。」
如何でしょう?
「Là sui monti dell’Est」は葬送歌だった!?それも”Una lugubre nenia” の “nenia(ネーニア:葬送歌)”の前に ”lugubre(ルーグブレ)”と言う形容詞(悲しい、いたましい、哀れをそそる、陰惨な…小学館伊和中辞典より)をわざわざ付けています。この歌、皆さんは悲しく感じますか?
この旋律は、トゥーランドットと関連がある時にしか現れないので、彼女のライトモチーフとして使われている面はあります。彼女の「残酷さ、冷たさ」ではなく、もう一面の「純粋さ、神々しさ」を表しているのかも知れません。
それは兎も角、葬送歌を歌いながら現れる集団は、勿論、お葬式に参加している人達です。そこで子供達が、先導隊として歌を歌う、どう言う場合でしょう?そこに居るのは、通常、家族・親戚…あとは、ご町内の皆さま。
でも、このシーンで死に赴くのはペルシャの王子。ペルシャ王家に関わる子供達が、遠く離れた北京に居るのは不自然です。居る設定なら、プッチーニは、わざわざ中国の江蘇省の民謡「茉莉花」を持って来ないでしょう(この曲は、中国の民謡から取られています)。彼なら、ペルシャの音楽を使うと思います。とすると、この子供達は、現地(中国)の子供達と考えるのが、自然です。
ペルシャ王子の親戚でもない子供達が、彼の葬送の為、歌いながら行進してくる…何故?
これには、出家した子供達だから…と考えると、筋は通ります。
仏教の中でも、ラマ教(チベット仏教)は、出家制度があります。ご当地に詳しい方に伺ったのですが、同じようにビルマの子供達も必ず一生に一度は出家するそうです(ビルマの仏教は、チベット仏教とは、宗派は違うんですけど)。
なるほど。。。なんとなく筋は通りますね。
そして、このペルシャの王子は、トゥーランドット姫の(ある意味、皇帝の)命令により死罪となる訳で、その点では、国の行事?としての(ペルシャ式ではない)葬送です。でも、それが何故、仏教の中でもラマ教なんてちょっと微妙なところになっているのでしょう?
そう言えば、チベット仏教には、転生の考え方があります。化身ラマ(転生ラマ)です。例えば、ダライ・ラマは生まれ変わる、とされています。
ここでワタクシが思い出すのが、トゥーランドットのアリア「IIn questa reggia(この王宮で)」です!そう、ロウ・リン姫です!このアリアの中で、トゥーランドット姫は
“qui nell’anima mia si rifugiò!”
(ロウ・リン姫の絶望の叫びが)ここ、私の魂の中に、避難して来た(宿った)!
“oggi rivivi in me!”
(ロウ・リン姫は)今日、私の中に、生き返っている!
と言っています。魂の転生です!
……あ、プッチーニはなにも書き残しておりません。念のため。
リトル・ブッダ 【HDマスター】
【転生する仏の化身といえばこちら】ベルナルド・ベルトルッチ (監督)の名作「リトル・ブッダ」
高僧の生まれ変わりとして選ばれ、ブータンへと旅立つ少年役の、この一作しか映画に出演していないアレックス・ヴィーゼンダンガーがたまらなく可愛らしく、また、キアヌ・リーブス演じるシッタータ太子の登場シーンの美しさが印象的。輪廻を考える前にその世界観に魅了される、一度は観ていただきたい映画の一つです。