Category Archives: プッチーニ

【Vol.4】姫さまの名前は「朶」!?

トゥーランドットという姫の名前なんですが、どうにも中国の姫のような気がしないんですよね。どこの名前なのかしら?とずっと不思議でした。
ムーラン、という映画があります。これは中国の伝説的な佳人で武人「花木蘭」をモデルにしたディズニーのアニメーションですが、個人的には花木蘭とムーランがなかなか結びつかなくて、あるときに「木蘭」=「ムーラン」と気づいてびっくりしました。

※ここからは妄想です。しばらくお付き合いください。

『ではでは、トゥーランドットのトゥーランは「トゥー」+「蘭」なのか!ムーランがマグノリアなら、トゥーランは「钍蘭tǔlán(シンビジウム)」ではどうだろう?綺麗じゃない?
ふむふむ、となると「ドット」はなんだ??そうだ、この間読んだ小説の皇后の名前は独鈷だったな。中国には珍しい二文字姓だけどよくない??。そう、家名。西洋式にひっくり返っているとなると、「トゥラン・ドッコ→独鈷钍蘭」なんていいかも』などと、色々と妄想しておりました。 —–以上 あくまでも妄想です。

閑話休題。1998年に張芸謀監督が演出をした際に、「中国公主杜蘭朶(Zhōngguó gōngzhǔ dù lán duǒ)」と記載されていたそうです。

おお、中国人が選んだ漢字がある!
となるとわかりやすくなりますね。(いや、こんなに前のことだったんですね。もっと早く気付けよ、です。)

「中国公主」とは、中国のお姫様の意味です。

「杜蘭」「朶」と切るか、「杜」「蘭朶」と切るか悩みどころなんですが…(台湾のホテルに「馥蘭朶春秋烏來」という名前のホテルがあったり、小説家に「塁 蘭朶」という方もいらっしゃるようで、「蘭朶」と切ることもあり、なのでしょうが)一応、ここは「杜蘭」で切ります。原典といわれるペルシャの物語(オリジナルは散逸しているようです)では、姫の名前は「トゥーランの姫君」となっているだけで「トゥーランドット」という名前は、フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワの『千一日物語』(こちらもすでに失われているようです)か、ゴッツィがヨーロッパに紹介するときに付けたようです。「ドット」はどこからきたんじゃい!

「杜蘭」という言葉、調べてみると「石斛(セッコク:デンドロビウム)」の別名のようです。「朶」とは「花」「輪」の意味(辞書によって変わります)。石斛とは蘭科の植物で、生薬にもなるようです。薬効はざっくり言って「消炎、強壮強精剤、および美声薬」とあります。「滋養強壮力のある美声にも効いちゃうお花」な姫君です。そっか。だからテノールがみんな一目惚れするんだ(ペルシャの王子もカラフもテノールです)。トゥーランのお姫様は、薬というより毒に近いとは思うんですけれどねえ。英雄と出会うとちょうどいい感じの薬になるのかもしれません。

とはいえ、これはあくまでも張芸謀監督が選んだ漢字。もともとはおそらくそんなことは全く考えてなかったのか、ペルシャで生まれた昔話ですから根本から違うようです。(先に書いておけと…)

トゥーランドット(元となった昔話の名前ではトゥーランドフト)とは「トゥーラン国(ラテン文字: Tūrān, ペルシア語: توران‎)」の「娘 (ペルシア語:دختر、ドフトル) 」からきているそうです。
欧州FAQ「ハンガリーの質問:トゥラニズム」

また、トゥーランドットについて、色々と書かれている多くの方が引用もしている「香川大学経済論叢『トゥーランドット物語の起源』」にもフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de la Croix:1653~1713)の『千一日物語』(Les Mille et un Jour)の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」(Histoire du prince Calaf et de la princesse de la Chine)についての解説として「トゥーラン(トルキスタン)」+「フランス語の学者という意味では?」として書かれています。この研修ノートは大変面白いのでぜひご一読をお勧めいたします。
っていうより、この文書があればこっちのブログいらないじゃん。。。。。 orz

今回は本当に役に立たないお話ですが、表意文字の漢字で書かれる人の名前って面白いですね。

【ちょっと違った角度から見るトゥーランドット】

トゥーランドット~チャン・イーモウ演出の世界~

1998年に北京の紫禁城(オペラでも紫の城として登場していますよね)で上演したオペラプロジェクト、張芸謀監督の挑戦を追ったドキュメンタリー映画。
指揮者 ズビン・メータが中国、紫禁城でのオペラプロジェクトの演出家として白羽の矢を当てたのは、映画監督、張芸謀だった。。。

【Vol3.】リュー、強い子泣かない子。

トゥーランドットで、主役のトゥーランドット姫よりも人気のあるリュー。

王子がかつて一度だけ微笑んでくれたからと言うだけで(一目惚れしたってことなんだとは思いますが)、目が見えなくなったティムールを支えて、遠くアストラハンから北京まで(どうして北京なんだかわからないけれど)逃避行を続け、王子の幸せのために老人のティムールをかばって拷問を受け、挙句に自殺して果てる。ああなんてかわいそうな、そして健気なリュー…
あ、でもちょっと待ってください。リューは、前回もお話ししましたが、あんな遠くから、目も見えない、また、お尋ねもの(負けた国の王なんで)の老人を連れてですよ、若い娘が護衛も連れず長い長い旅をしているのです。そんな。今と違って街や邑を離れた街道は追い剥ぎやら山賊の宝庫ですって。
戦って倒した相手も 一人や二人ではなかったでしょう。いや、そのくらいの気概がなきゃ、まず速攻に捕まって売り飛ばされていますって。

一方、どのオペラの解説を読んでも、プッチーニが特別にリューに対して思い入れを入れた結果、彼女があまりにも巨大になってしまった、ということは話されています。その結果、リューの性格がひっくり返ってしまったこともあるようです。

リューの有名なアリア、「お聞きください王子さま」
切々と美しいピアニッシモで歌われる名曲ですよね。リューの切なさ、愛らしさ、健気さを象徴するようにも思いますが、オリジナルのリブレットでは、ちょっとばっかり違います。

現在のリューのアリアにあるト書きはこうなっております。
  avvicinandosi al Principe, supplichevole, piangente
  王子に近づきつつ、哀願する様に、泣いて

その後有名な「 Signore ascolta! (王子さま!お聞きください)」と始まります。ところがリブレットでは違います。
あ、リブレットですよ。原作ではありません。原作にリューは登場しませんから。(リューの代わりに数名の女官は出てきます)

 reprimendo le lagrime, con ferma promessa
涙を抑えつつ、決然たる誓いをもって

Per quel sorriso,
si’ … per quel sorriso Liu’ non piange piu’ !…
Riprenderem lo squallido cammino domani all’alba
quando il tuo destino, Calaf, sara’ deciso.
Porterem per le strade dell’esilio,
ei l’ombra di suo figlio io l’ombra d’un sorriso.
あの微笑みの為に、
えぇ…、あの微笑みの為に、リューはもう泣きません!
明日の夜明け、カラフ、あなたの運命が決まる時に、
私達は、物悲しい(悲惨な)歩みを再び始めましょう。
亡命の道に、彼(ティムール)は息子の(悲しい)影を、私は微笑みの影を担って(背負って)。

えーと。この歌詞を読むと、どう読んでもカラフ(名前呼んじゃってるし)が勝とうと負けようと、どっちにせよ自分にとって残酷な結果は見ることになる前に、『あなたのあの微笑みを胸に、私たちはまた旅立ちましょう』と言っています。あ、そうなんだ。止めないんだ。。。。。

そして、そのままだったらリューのアリアのあとにある「泣くなリュー」という身勝手極まりないカラフのひとくさりなんですが、実際は、このアリアの前に出てきます。つまり、この歌は「もう泣くな」とカラフに言われたので、そのアンサーソングとしての立ち位置だったようです。「泣くな」「わかった。もう泣かない」もう泣かないリューとなっていたはずなんです。まあ、ここで、リューちゃんがティムールの手をひいてスタスタと去って行ってしまったら、その後のカラフの「泣くなリュー」から始まる合唱まで巻き込んでの感動的な一大コンチェルタートにはならなかったでしょう。

ちなみに、音楽そのものは同じです。ただ、半音上になっていたそうです。最後の音がHとなります。現在の[Ah pieta’!]の終わりのB音は、もう一箇所の[sorriso]と対になっています。
本来の音だったら、あんなにたくさんのフラット記号がなく、音取りに苦労しなくてよかったのにね…

そしてこのリブレットを「絶対に嫌!!」と言って変更させたのが、そう、プッチーニなんですよね。

プッチーニはトゥーランドットだけではなく、ボエームに対しても、トスカについても多大なリブレットへの介入をしたことでも知られています。トゥーランドットは、「つばめ」でもタッグを組んだジュゼッペ・アダーミとジョルダーノの『マダム・サン=ジェーヌ』を書いたレナート・シモーニが担当しています。イッリカやジャコーザほどの大物ではないので、遠慮なく介入しております。そのため、リューはカラフの決心を聞いて受け入れ、「それでは私、これからティムール連れて旅に出ます」の代わりに「お聴きください。王子さま。私はもう耐えられません。」と縋り付かせます。 ま、いいんですけれどね、そのおかげで素晴らしい音楽ができたのですから。

ちなみに、彼女は楽譜の上では LIUと記載されています。これって日本人にはとってもめんどくさくて嫌な話ですし、人によって リューだったり、リゥだったりしているなあ〜と個人的には気になってたまらなかったのです。こちらは簡単。プッチーニが回答を手紙に書いています。

「リューは2音節にはしない。1音でリューと発音」だそうです。

【英語ですがよろしければ】

Puccini’s Turandot (Princeton Studies in Opera)
William Ashbrook (著), Harold Powers (寄稿)
二人の音楽家による プッチーニ作曲トゥーランドットについての解説書です。この文のネタを頂戴しております。ありがとうございます。

【Vol.2】そもそもティムール達って、一体どこからきたの?

トゥーランドットとは、当時のヨーロッパの人々にとっては、「ほとんどの人が見た事もない国々の人の話」です。
私たち日本人にっとても、実は知らない国々かもしれないですね。例えば、名の知れぬ王子(カラフ)、その父ティムール、そしてリューは、何処から物語の舞台となった北京にやってきたのでしょうか?姫も単に「外国人!外国人!」と呼んでいますよね。どこの国からきたのでしょう。気になりませんか?

これは、プッチーニの楽譜の何処にも書いてありませんが、原作とされるカルロ・ゴッツィの『トゥーランドット』には書かれております。

ティムール:Astracan の王

イタリア語だと「アストラカン」と発音しますが、日本では「アストラハン」と発音します。
ついでと言っては何ですが、現在はロシア領になりますので、現地の言葉では「Астрахань アーストラハニ」ラテン文字転写では、「Astrakhan アストラハ-ン」と呼びます(しつこい??)
カスピ海の沿岸部です。

こーんなところ。


めっちゃ、遠いっ!!!! … ヨーロッパに逃げた方が、近くね?

ちょっとGoogle Mapで経路検索してみたんですけれどね。

アストラハンから北京まで電車で移動すると7日以上?
〔GoogleMap経路検索結果〕

列車で7日22時間(笑)。こんな所から、目の見えないティムールを連れ、北京まで「歩いて」来た!?
それも、王位を追われた者が、どんな悲惨な運命を辿るか?は多くの歴史が語る通り。ティムールとリューの逃避行は、どんなに大変だったでしょう。
ってか、リュー、すごすぎ!!

これは昔、とあるリュー歌いさんとお話しした時に、その方曰く、「この女(リュー)、北京に来るまでに、何人かは殺ってると思うんだよねぇ…」  (^◇^;;;;;

めっちゃ中国らしい演出って素敵かも
歌劇「トゥーランドット」全3幕/チャン・イーモウ演出 [DVD]
出演:ジョヴァンナ・カゾッラ(トゥーランドット) (出演), ニコラ・マルティヌッチ(カラフ) ,アレッサンドラ・パッチェッティ(リュー), サイモン・ヤン(ティムール)他チャン・イーモウらしい華やかさが魅力な映像です。
2003年ソウル、ワールドカップ・スタジアムでの一大スペクタクル!
フィレンツェ歌劇場・中国国立北京オペラ、韓国アレーナ・オペラ・フェスティヴァル共同公演。

【Vol.6】ハートに灯をつけて

ご存知、ボエームの第一幕。 ミミとロドルフォの出会いのシーンは 蠟燭の火がきっかけになりますね。蠟燭って暗いんですよ……

季節はちょうどクリスマス頃。 ヨーロッパは緯度が高いせいもあって、冬はとても早い時間に暗くなってしまいます。 今頃だと17時には真っ暗です。
そして、これはまた別の機会にお話しようと思うのですが、ロドルフォの部屋は西向きなんです。
まだ、最後の夕陽があたって 赤く空を染めている頃、そう、16時頃でしょうか?窓際に置かれたマルチェッロのカンバスはまさに紅に燃える紅海だったのでしょうね。
その後、ショナール、コッリーネが現れて、ベノアを追い払って…… ミミの登場は 17時から18時頃になっていたかもしれません。
もうその頃は真っ暗です。 当然、明かり取りのない屋根裏部屋に続く階段は真っ暗。 コッリーネは階段を落っこちてしまいます。あーあ。痛そう……

ヨーロッパの大きな建物の多くは屋根裏部屋を持っています。 古い貴族の館等の場合、屋根裏などに続く階段は、館の中のものとは別に専用の小さい入り口を持ち、暗い階段を使って直接上に上がるような仕組みになっているところもあります。 ちょうど歌舞伎座の大向こうやスカラ座の天井桟敷につづく階段のように。
物語の舞台となった彼らのパラッツォはどんな規模かは判らないですが、そこそこの大きさはあったと思われます。 だって門番雇っているくらいですから。
ドアの処に門番が居て、帰ってくる住人のために灯りを用意しておいたりするはずが、どうやらショナールの罵り声「Maledetto portier!(忌々しい門番め!)」からすると、サボって灯をともしていないどころか、どこにも居なかったのかもしれません。

帰ってきたミミも門番に灯を貰えなくて手探りで階段を登っては来たものの、真っ暗な廊下で鍵をあけられずに困っていたのでしょう。
そこへ隣家のドアが開き、3人の若者が飛び出して行ったのです。そして灯りがもうひとつ、部屋の中に……やった!!灯りが貰える。

ミミの部屋とロドルフォの部屋の位置関係は台本や二人のセリフの端々に見えてきます。

ちょうど階段の登り切ったすぐの処、西側がロドルフォの部屋になるようです。勿論屋根裏部屋です。
ドアは階段に向かって開くようです。なぜなら、コッリーネもショナールもミミがそこに居る事に気付かなかったのです。
いくら真っ暗でも人の前を通ったら、それも若い娘さんの前を素通りできるようなマルチェッロ達じゃあありませんよね。残念なことに、ドアをあけても、奥の方は陰になってよく見えなかったのでしょう。
そして、そのドアの前を通り過ぎた反対、つまり東側の部屋がミミの部屋のようです。だからミミからは皆が降りて行ったことも、最後にひとり残ったこともちゃんと見えていたのです。

さあ、ちょっと勇気だして蠟燭の灯を分けてもらいましょう。

え? ライター??? ないですないですヾ(^_^;;
ロドルフォも第一幕で、戯曲を燃やすストーブの火をつけるのに火打石を使っていますよね。
さて、マッチが発明された時期をいつと見るのはちょっと難しいのですが、一般的にイギリスのジョン・ウォーカー氏が硫黄をかぶせた軸木を2枚の硝子粉紙の間にはさんで発火させるマッチのモトを発明したのが起源と言われています。これが1827年のことです。
その後1831年にどこで擦っても簡単に発火する黄燐マッチがフランスで誕生。このフランス生まれのマッチによって、ようやく人類が原始時代に別れを告げたわけです。
ちょうどボエームの時代には、まだ産まれたてほやほやのマッチです。 高価すぎて貧しい学生やお針子なんかが簡単に買う事は出来ません。
ということで、蠟燭についた火はとても貴重なのです。そして とてもほの暗い。
お互いの顔を見ることはできるけれど、足下におちた鍵を探すのはとっても無理なくらいだそうです。実証した人から聞きました。
特に、外のネオンや近所の電気の灯りなどない時代です。(部屋中の待機のランプだってないですよ)静寂と闇が支配する中、オレンジ色のやさしい光の中に姿がみえて、なんてロマンチックと言った方がいいか危ないと言った方がいいか……
簡単に恋のひとつやふたつ、始まってしまいそうですね。
ライターやマッチ、簡単に点火できる、というより電気やらLEDやらの灯りで暗闇のほとんどない現代では、なかなかこういう素敵なチャンスには巡り会えなさそうです。

【こんな可愛いミミが来たらどうしよう…】出演: アンナ・ネトレプコ, ローランド・ビリャソン, ニコル・キャベル, ジョージ・フォン・ベルゲン,
監督: ロバート・ドーンヘルム

プッチーニ生誕150周年記念作品。めちゃくちゃ可愛かった若きネトレプコが当時ベストカップルだったビリャゾンとがっつりタッグを組んだボエーム。若々しくそれゆえに切ない素敵な映像です。

【閑話休題】名前小ネタ

ボエームといえば、若者の群像劇です。なので、基本、登場人物は皆若者です。もちろん、農家のおかみさんや物売り、モミュスのお客には年をとった人も出てきますが、名前のある人は若者が基本。その中で、名前はあるけれど若くない人間がふたりいます。ともに、若者から見たら最も忌むべき人間です。つまり、年を取り、小金を持ち、愛ではなく女を連れ歩くことを喜ぶ、彼らとは真逆の人たちです。1幕の大家さん、ベノア、2幕のムゼッタの愛人アルチンドロです。それだけで若者たちのあざ笑いの種になっています。 4幕にはムゼッタやミミの愛人らしき人はいたはずですが、彼らをあざ笑ったりする心のゆとりがもうなくなっていたのでしょう、名前も影も見えてきません。

§ベノア

1幕で3ヶ月分の家賃を請求にきたのに、安いワインで酔わされ、ついつい若いグリセットとデートしていることを白状させられた結果、家賃踏み倒されてしまう気の毒な老人です。
そもそもは、フランス起源の名前です。原作でも、ブノワとしてそのまま出てきます。イタリア語では「Benedetta: 祝福された」という意味があります。
クリスマスの晩に、3ヶ月分の家賃を取り損ねるのだから、ボエームに於いては、当然、アイロニーに満ちた名前ですね。

§アルチンドーロ

2幕でムゼッタにルル!と子犬のように呼びつけられている、お金持ちで、身分もありそうな紳士です。二人だけの時には、きっとルル!と呼ばれると ワン♥とでも答えていたのでしょう。

アルチンドーロとは、Alcindo と Oro とに分けられると思われます。Alcindo は「強い性格」と言う意。Oro は「黄金」と言う意味です。いかにもプライドが高くて小娘(ムゼッタ)に引きずり回されること自体、憤懣やるかたないというのがよくわかります。 ということで、ムゼッタを含む若者たちにとって、体良く追い払った挙句、モミュスの払いくらいさせても良心の欠片も痛まないところなのです。

【Vol.5】 グリセットのお話

原作では1840年の設定を、オペラではわざわざプッチーニが1830年代初頭に移したのにはいくつかの理由が考えられます。ひとつは、国王陛下の人気の度合いです。それと一番の理由は生活の苦しさではないかと愚孝しているわけです……

1830年初頭は貧しかった労働者階級は更に貧しく(それ以前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)農村の労働力としては心もとない娘達は、田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。

有り難いことに?フランス革命で宗教をも壊した「時代の申し子たち」の子供達、つまり『キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の第2世代』です。貞操に対する罪悪感の薄さったらありません。

かくして、大勢の娼婦予備軍の娘達が誕生します。
この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、トラヴィアータ(椿姫)の主人公、ヴィオレッタのようなクルティザンヌへと変貌します。

一方、そこまでの幸運と美貌とに恵まれなかった娘達は、割とフットワーク軽くそして逞しく生きてゆきます。
それがグリセット(Grisette)達です。
直訳すると『グレーの服の娘』とでも言えばいいのでしょうか?語源はグリ(Gri:グレー つまりお針子達の安価なグレーの制服)です。
当時の市民感覚としては「援助交際ギャル」とか「浮気娘」というところでしょうか。
グレーの制服を着たお針子や洗濯女達のお給金はとても安く、ギリギリ食べることは出来ますが、ちょっと気の利いたお洒落をしたり、カフェに行っておしゃべりをするには足りません。やはり副業が必要というか、手っ取り早くちょっとした贅沢をさせてくれる人が居たら嬉しいのです。

一方、中・上流階級出身の子息で医師や弁護士になるために大学に行っている学生や 裕福だけど、さすがにクルティザンヌを庇護するまでの資産はない老人達にとって、公営の娼館への出入りがはばかられる理由は山ほどあります。
かといって、同じ階級の娘達に手を出そうものなら、一応崩壊しているとはいえカトリックの国ですから、思いっきり差し障ります。

そういった双方の利害が一致した結果、「プロではない普通の女の子」のグリセット達は(当然、シルクを扱ったりしますので、身は–フランス人にしては—清潔にしていますし、手はすべすべです。)彼らのつかの間の愛人として、カフェに連れて行ってもらったり、可愛いアクセサリーやドレスを買ってもらうのです。
そう、ムゼッタなんかはグリセットそのものです。
若くて美人で魅力的で。マルチェッロの事は実際、大好きなのです。でも、愛だけでは生きていけないのです。

でも「贅沢が同じくらい好きなの…… アルチンドロは私の言うことなんでも聞いて、なんでも買ってくれるのよ。」

ムゼッタは、この物語の後、若い参事官の愛人になった時には、ル・アルプ通りを出てプリュイエール通りへと移り住みます。つまり、日本の江戸時代における大川の向島あたりの寮に住まわせた、小唄の師匠みたいな……ロレットと呼ばれる、もう他の仕事をしない身分へとステージアップします。

で、カンのいい方でしたらピン!と来られたかと思いますが、ボエーム2幕の群衆の中に「学生達とお針子達のカップル」が沢山出てきますね。つまりそういうカップル達でしょうか。

商売としての娼婦とは一線を画しているところもクルティザンヌと一緒ですが、彼女達は文化を創ることはしませんでした。

クルティザンヌがパリのガガ様なら、グリセットはリアルAKB。会いにいけるアイドル達といったところでしょう。

そして、ミミ。彼女も実際はそういったグリセットのひとりといっていいでしょう。

ミミは言います。「私の名前はミミ。本当はね、ルチアというの。」前にも書きましたね。「可愛い子ちゃん」「ねんねちゃん」という意味の愛称だと。
まずい事に(笑;;;; 「ミミ」「ジュジュ」「ルル」「ロロ」といった『繰り返し名』はマキシムを代表とする 踊り子たちの源氏名に多い名前であり、愛称であったようです。
ミミもきっとそういった中で、ちょっとまだ擦れていない、可愛い娘として「ギョーカイ」でそう呼ばれていたのでしょう。

現に、とても恋愛上手な可愛さと、病気のためロドルフォと別れて「ちゃんと」子爵に面倒を見てもらうことが出来るだけの知恵と力量とを持っていたようです。
それに、ロドルフォと知り合って間もない2幕の頭でも「ねえ、このバラ色の帽子、私に凄く似合うの」といって可愛いおねだりをしています。かなり高度なテクニックです。(^_^;;

原作に出てくる「浮気性で気まぐれなミミ(本名リュシェル:ルチアのフランス語)とフランシーヌという肺病で死んでしまう儚い乙女との二人を合わせたキャラクターがプッチーニのミミ」と言われています。 そのため、一途さと清純さが前面に出た性格なっているため、男性、特に、日本の男性の間には、ミミ=聖女説がある一方、ミミを娼婦とこき下ろす説もあります。

私はこのどちらの両極端の説にも賛成しかねるんです。やっぱりプッチーニが自分の好きなタイプの女の子として造り上げたキャラクターだけの事はあります。基本、根は善良で純真です。

けれど、ムゼッタを初めてみたとき、「e pur ben vestita! (でも素敵なドレスよ!)」と言ったり、サンゴの首飾りをしっかりと欲しがったり、ちょっとその生活の片鱗を見せてもくれています。「私はミミと呼ばれています」というアリアの歌詞も、随所にロドルフォを誘う言葉が盛り込まれているのです。
「ひとりで、 お昼ごはんを作って食べています。(カレシはいないのよ)
ミサには毎回は行っていません( 神様に縛られているわけではないのよ…多少の不品行はオッケーよ)
でも、神様にはたくさんお祈りしているんですよ。(あ、でもそんなに自堕落じゃないのよ)
一人です……たった一人で生きているんです。」

もう、めっちゃくちゃに上手いです。モテ期がまだ!と仰る方はぜひミミをご参考になさってください。
また、1830年初頭のグリセットたちは、まだまだ牧歌的で、学生たちや若い芸術家たちの恋人として、まめまめしく尽くすことが主だったそうです。それが40年代以降になると、経済状態の悪化から、更に荒んだ生活を送る娘たちが多くなっていったそうです。
そのため、プッチーニはどうしても時代を1830年代初頭に持っていきたかったんだろうな。

【「らしい」ボエームといえばこれ!】

出演: ストラータス(テレサ), カレーラス(ホセ), スコット(レナータ)
やっぱり、声だって大切だけれど、オペラだってビジュアル大事。 みていてしみじみ「らしい」なあと思えるのがこちら。
演技派ストラータスとせつないカレーラスが絶品

【Vol.4】もうひとつのボヘミアンな名前物語 ネタ編

その名前を聞いただけでどんな人かイメージすることがありますよね。小説などでも主人公の名前は、そのキャラクターや物語に合わせて付けられているように思います。
そして、やっぱりオペラの登場人物も、そのキャラクターを意識した名前が付けられているようですよ。

ミミの本当の名前は「ルチア」ということはもう良いですよね?
ルチアとは、ラテン語のLUX(光)、古代ローマでは「夜明けの最初の光の子」に名付けられる名前だそうです。
ミミのアリアでも言いますよね。「4月のはじめての(太陽の)口づけは私のもの!」。本当にそのまんまですね。
理解されている名前の印象としては、おしゃべりで時折空気が読めてなくて、恋にちょっとあぶなっかしい……
とってもチャーミングな名前のようです。

そして、その恋人のロドルフォなんですが、こちらはドイツの古い名前、Rudolf(Rhood-Wulf) そう「栄光に満ちた狼」。戦場の勇者であり、王者の名前です。印象として、夢多き理想家でありながら激情家、繊細な心を持ちながらも大胆な冒険をする活動家に与えられる名前のようです。

このカップル、これはなかなか大変な大ロマンスの起きる名前ですよね。 オペラの中でも、モミュスのシーンで、ちょっとミミが空気を読めないでマルチェッロをイラっとさせたりもします。そして、ロドルフォの夢多き夢想家ぶりと来たら!
また、狼の属する夜には朝日は属すことはできないのです。(悲)

さて、もう一組のカップル。 ええそうです。 ムゼッタとアルチンドロヾ(^_^;;  違いました、ムゼッタとマルチェッロです。 こちらも名前でみる相性診断がとっても面白いことになっています。

本名が判らないので、ムゼッタはそのままムゼッタで判断するしかありません。牧歌的なワルツ、また、その楽器としてのミュゼット、というお話は前回致しました。
ところで、もう一つの名前の読み解き方もあるんです。
ムゼッタの語尾の「ッタ」は、「可愛い◎◎ちゃん」というように愛称化するときに付けるものです。となると、ムゼッタは「可愛いムーサちゃん」となります。ムーサといえばギリシャ神話の「ミューズ」ですね。
そう、芸術や詩の女神です。美人でキュートで自由。
確かに、ムゼッタは詩のインスピレーションの源泉そのもののです。もしかして ロドルフォと恋に落ちていたらとんでもない事になっていたかもしれませんね(笑;;;;

片やマルチェッロ君。

お分かりになる方もそろそろ出てこられたかしら? ローマの軍神マルテ(マルス)を語源とするマルクスからきた、小さなマルクス。これはラテン語でMarcellus(マルチェッルス)「小さな金槌」を意味するようになって、やはり戦いを連想させる、ローマ貴族の名前となります。
名前の印象として、繊細で慎重だが、一度信頼すると一気に愛情深くなり、現実より理想の世界を愛する、となっています。たしかに マルチェッロってそんなところありますよね。

となると、どう考えてもこのカップル、上手く行く筈ないんですよね
ミューズの娘と軍神の子ですから……
とはいえ、短い間、インスレーションを与え合うという意味では、瞬間的な激しい恋愛感情をかき立てられる相手の様です。モミュスで再会した際、マルチェッロは「セイレーンよ……」と呼びかけます。やっぱりムゼッタは歌そのものなんですね。(セイレーンは、ある説では、ムーサの娘とも言われています。あくまで一説ですが)

ムゼッタは言います「マルチェッロは私には『たまに』とっても必要になるの」
あら ずっとじゃないんだ……(´・ω・`)

せんだって、とあるイタリア人に「ねえ、ショナールっていう名前を聞くと、どんな印象もつ?」と聞いてみたところ、「そうね〜 なんだか『へっぽこ』っていうような感じを受ける名前なのよね。」つまり、ショナールという名前そのもので「へっぽこ音楽家、少なくとも一流じゃあない」みたいな印象を受けるのだそうです。
(^m^) そりゃ、ラッパの「レ」も違うはずです。
そのファーストネームが前回も書いた様に「アレクサンダー」です。ギリシャ語の「Aléxandros」ですが、これは動詞の「Aléxein(保護する)」と名詞の「Andròs(男)」の組み合わせ。もうどう見ても大王様の為の名前ですよね。ただ、この名前のもつ性格というのは、案外熱狂的で落ち着きがなく、プライドが高く自信家、そしてあらゆる冒険に飛び込む…… ああ、居ますね。 こういう人。 面白いですが騒々しい。熱量が高そうな名前ですね。
偉大なファーストネームとへなちょこな姓の組み合わせ。これだけで、ずっとふざけ続けているショナールの人柄が判るような気もしますよね。

コッリーネについては、前回あらかた書いてしまったので、あまり残っていないのですが、グスターヴォとは、「ゴート族の大黒柱、首領」の意味を持つ、スウェーデン起源の名前で、その名の通り、君主に多いそうです。
持っている名前の性格でも、大地に足をおろし眼差しを天に向けるもの、と言われています。大掛かりな計画を立てることを愛し、実行すると。  同じ大王でも、騒々しいアレクサンドロスとはちょうど反対に居るようですね。
やはり4人の中でも 一番肝が据わっているのかもしれません。

【名前の話はここには載っていませんけれど…】

名作オペラブックス(6)プッチーニ ボエーム
2005年に発売された、オペラファンにとってはめちゃくちゃ有能なサポートブックでした。
現在は さすがに絶版となってしまったので、図書館か古本で探すしかありません。
それでも リブレット(まあ、改訂版が出ちゃっているものも多いんですが)やト書き、当時の裏話など、とても興味深いネタはたくさん掲載されている本です。どこかで見かけたらぜひ手にとってみてください。

【Vol.3】 ボヘミアンな名前物語

「私、皆に『ミミ』って呼ばれていますの。 「でもね、本当の名前はルチアって言うの。」
「何故ですって? 知らないわ。」

オペラをお好きな方たちにはあまりにも有名なアリアですね。
ルチアがどうしてミミ?? と思った方もいらっしゃるのではありませんか?

ミミとは「mignonne(ミニヨンヌ)」の省略形です。
あら、「君よ知るや南の国」かのゲーテのミニヨンと同じですね。
「おちびちゃん」とか、「可愛い子ちゃん」というようなニュアンスの呼び名で、日本なら「ポチ」とか「チビ」って、子犬につけたりしますよね。そんな感じでしょうか。小柄で可愛い女の子のイメージですね。

ムゼッタもどうやら本名ではなさそうですよ。
フランス語ではミュゼット「musette」となります。
ミュゼットって、フランスの民族楽器でバグパイプみたいなものがあります。つまりバグパイプ娘さん。
私が昔聞いた時は、ピーピー煩い娘だから、という、2幕のシーンを基準に名付けられたって言われたのですけれど
もうひとつ、その楽器のための音楽やダンスも意味するそうです。主に三拍子で、牧歌的な、ちょっぴり田舎っくさいワルツ、といったところのようです。
ムゼッタって、やっぱりワルツなんですね。

女性陣は皆さん本名ではなく、通り名だった訳です。 ここにもちょっと秘密がありますけれど、それはまた別の時に。

ところで、名前といえば、ボエームの主役達、つまりボヘミアン生活をする若者達—ロドルフォ、ショナール、マルチェッロ、コッリーネ… こちらもちょっと面白い組み合わせです。ロドルフォとマルチェッロは、すぐにわかりますね。
フランス語ではルドルフとマルセル。あきらかにファーストネームです。「ルドルフ」はええ、もちろんサンタクロースのトナカイ…じゃなくて 高地ドイツ語の名前「勇猛な狼」を意味する英雄や皇帝の名前です。マルセルはもちろん「軍神マルス」が語源といわれています。 ふたりともすごい名前ですね。

ところで、残りのふたり、コッリーネとショナール。こちらは、ファーストネームではありません。姓の方です。まあ、日本でも友達同士でファーストネームで呼ばれる人と苗字で呼ばれる人がいますよね。 その感じでしょうけれど、
ちょっとファーストネーム、知りたくありませんか?

まず、コッリーネ(コルリーネとコッリーネのちょうど中間の発音です。コ「ッ」っていってる間にちいさく「ル』と言います。難しいですね。)名前はリブレットにありました。
リブレットは、スタンフォード大学のライブラリーで見つかります。

その第二幕の最初に
「グスターヴォ・コッリーネ、偉大な哲学者……」 とあります。
なんと!こちらもまるで王族のような名前ですね。
つづいて「画伯マルチェッロ、大詩人ロドルフォ、大音楽家ショナール…… 彼らは互いにそう呼んでいた–」とちょっとシニカルな書き方をしています。

そうでした。もうひとり、名字の人が居ました。
そう、ショナールです。彼もファーストネーム、ありますよ。
コッリーネのグスターヴォもけっこうびっくりなんですが、ショナールが、なななんと、

アレクサンドル・ショナール……

イタリア語だと、アレッサンドロですね。意味はギリシャ語の「男達を庇護する者」戦士の守護者ヘラの称号でもあったようです。実際に、モデルはミュルジェの友人、アレクサンドル・シャンヌだそうでいい加減につけた名前ではないんですが、アレクサンダー大王の名前を頂いています。

4人とも素晴らしく立派な名前を持っていたのですね。

若者たちは、すべからく勝利者の名前を持ち、娘たちがふたりとも通り名を使っている。これがボエームのひとつの秘密になっています。

【がっつり読み込むととても面白い】

名作オペラブックス(6)プッチーニ ボエーム
2005年に発売された、オペラファンにとってはめちゃくちゃ有能なサポートブック。
現在は さすがに絶版となってしまったので、図書館か古本で探すしかありません。
それでも リブレット(まあ、改訂版が出ちゃっているものも多いんですが)やト書き、当時の裏話など、とても興味深いネタはたくさん掲載されている本です。どこかで見かけたらぜひ手にとってみてください。

【Vol.2】 カフェ・モミュスに行こう!

舞台になった、カフェ・モミュスなんですが、実はThomas Boysという画家がスケッチを残しています。
ケンブリッジ・オペラ・ハンドブックの表紙にスケッチの一部が使われているので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれないですね。
画像検索でしっかり見つかりました。
壁にちゃんと「カフェ・モミュス」とあります。ビリヤードっていう文字もみえます。

こちらの絵は複製画を14.9ユーロから(税込み)で購入できるようです。よろしければおひとつ……

う~ん。 実在したのですねえ……だけど、なんだかちょっとイメージは違う雰囲気はします。
場所はどこでしょう。水彩画の方の説明には、Rue des Prêtes, Paris とあります。多分、これは住所でしょう。

地図を広げて調べると、その通りの名そのものは既に見つからず、3 Rue des Prêtes Saint-Severinと言うところにサンセヴラン教会があります。カルチェラタンの近く、サンジェルマン通りのすぐ北、イル・ド・フランスといわれる地域です。

ちょっと微妙だなあ…… と思いつつ、ト書きを読んで行くと、色々と通りの名前が出てきますね。

市民達が「Via Mazzarinoに行こう!さあ、Cafe Momusへ行こう!」と言います。(ヴォーカルスコア98ページ)
パリの場合、Rue Mazarine(マザリーヌ通り)でしょうか。
地図を広げてみると、ああ、ありました!マザリーヌ通りにムゼッタが立つ(116ページト書き)と、ドフィーヌ通り(106ページ)との交差点を挟んだその向うの旧コメディ通りにパルピニョールが去ってゆきます(110ページ)。
そのちょうど5つの通りがちょっと変則的に交差する角には まさにこんな感じ!というカフェが両側にあります。
Le Buci とLe Conti…… あ、ちょっと惜しい!モミュスじゃないっ!!(笑;;;;

それでもその辺りはまさに カフェ・モミュスのイメージにぴったりですね。
実は、別のルートから、モミュスのあった場所が判りました


17 Rue des Prêtres-Saint-Germain-l’Auxerrois だそうです。

関係者の家やモミュスの場所を入れたGoogleMapを作って、公開しておきましたので、興味のある方はどうぞ。まあ、リアルに場所がわかったからってどうってことはないですが(笑;;;
だけど、これで見ると、モミュスって、ポン・ヌフを超えて、対岸にあるんですね。

ところで、オペラの中に登場するカフェ・モミュスのモデルには、もう一つ、プッチーニが当時滞在していたトリノのテアトロ・レージョ近くにある カフェ・ビチェリン(Al Bicerin)がそうじゃないかという説もあります。
創業が1763年とのこと、少なくとも初演を前に準備が忙しかったプッチーニが通っていた事は想像に難くないでしょう。

–イタリア人ですもの、3歩歩いたらバール寄りますからね。(^m^)–

ひょっとして、音楽のイメージの中に このカフェが反映されているかもしれないですね。

ところで、ここでクイズをひとつ。

実在の4人の若者達(当時「四銃士」と呼ばれていたそうですよ)をモデルにした、ロドルフォたち4人。カフェ・モミュスへは、このクリスマスの晩に「A:実は初めて行った」いえいえ、「B:何度も行った事がある」

さてどっちでしょう。

応えは「B:何度も行った事がある」です。

え? だってボーイが持ってきた会計書見て「高っ!!!」って叫んでいましたよね。自分たちの懐具合も値段もわからないでモミュスに繰り出していったって??

そうなんです。そこんところについてもリブレットにはちゃんと書いてあるんです。
「彼らは、何度もモミュスに出かけ、請求書を受けても払う事もなく出てくるところも一緒で……」
のどかな時代なんでしょうか。

確かに、今回もそれなりのお金をしっかり手に入れてモミュスに行った筈なのに、コート買ったり、ボンネット買ったり、そもそも先に全部使っちゃっていましたよね。

ちなみにビチェリンとは ホットチョコレートにコーヒーとクリームを泡立てたものだそうです。せんだって、念願叶ってトリノへ行くことができましたが、悲しいことに、カフェ・ビチェリンは定休日でした。

【確認したくなったら…】

【まずはヴォーカルスコアから】

プッチーニ: オペラ「ボエーム」/リコルディ社/ピアノ・ヴォーカル・スコア

【対訳はご入用ですか?】

言葉を話せてもけっこうめんどいのがオペラの歌詞。韻文の美しさをどのように訳されているのかを楽しむこともできます。

【Vol.1】はじまりは、4月8日

さて、ボエームの原作についてちょっとお話しておきましょう。

アンリ・ミュルジェール作、『ボヘミアン生活の情景(Scenes de la Vie de Boheme)』が原作です。戯曲としては1849年、小説としては1851年に出版されました。ちょうど王政が廃止され、第二帝政が始まるまでのはかない第二共和制の時代に出版された本です。

そして、1822年生まれのミュルジェールの自伝的青春小説で、登場人物もみな、実在のミュルジェールの友人たちがモデルになっているようです。(ええと… 簡単な引き算です。戯曲の出版時、27歳の若者だった、ということは押さえておきましょう)

ボヘミアンたちの物語はこうはじまります。

『ある朝、—それは4月の8日のことだった—』

オペラの1幕目と同様、ショナールの部屋(マルチェッロの部屋ではまだありません)へ大家が家賃を取りにくる日の朝のことでした。そして、あとから来たマルセル(マルチェロ)が『1840年の4月だ』と言われるシーンが続きます。

ということで、「1840年の4月8日」にショナールがマルチェロ、コッリーネ、ロドルフォと出会うのです。
そう、1840年が原作の舞台です。前回、オペラ「ラ・ボエーム」の舞台は1830年代初頭と書きましたよね。何故、10年も時間が戻っちゃったんでしょうか?
その事については、また別の時にでも。

ところでところで、ロドルフォの仲間は実はあとふたりほど居たようです。
詩人ロドルフ(アンリ・ミュルジェール本人)、音楽家ショナール、画家マルセル、哲学者コリーヌの他に、彫刻家ジャックとジャーナリストのカルロスという二人の仲間たち。

このうち、彫刻家ジャックは、オペラの「ロドルフォ」のもうひとりのモデルとなります。

まあ、一緒に屯していたのが、ロドルフ、ショナール、マルセル、コリーヌの4人なのですから(一緒に住んでいたのは、ショナールとマルセルです。ショナールが家賃を払えずに追い出されたあとに住んだのが、パトロンからお金をもらったマルセルなのです。)4人がどうしても中心になってしまいますよね。

6人もボヘミアンたちが居たら、きっと舞台の上はめちゃくちゃ狭かったでしょうし、合唱メンバーがモミュスに入ることができるスペースはもう残らなかったかもしれません。

ショナールにだって、フェミという名前の染色職人の恋人がいたんです。振られちゃったけれど。
ジャックにも、もうひとりのミミのモデルとなったフランシーヌという恋人が居ました。「恋人」についていえば、皆さんけっこう賑やかでしたよ。別れたの戻ったの、別の恋人ができたのと大騒ぎです。

コリーヌだけは、実は賢いのか恥ずかしがりなのか、こっそりと隠していて、みんなに紹介したり、一緒に連れてきたりはしなかったようです。 賢明ですね。

あとの3人はいずれも破局しまくって大騒ぎしまくっていましたから、さすが、哲学者、よくわかって………… いたんでしょうか??