原作では1840年の設定を、オペラではわざわざプッチーニが1830年代初頭に移したのにはいくつかの理由が考えられます。ひとつは、国王陛下の人気の度合いです。それと一番の理由は生活の苦しさではないかと愚孝しているわけです……
1830年初頭は貧しかった労働者階級は更に貧しく(それ以前は貧しかったけれど、まだ食べられたんです。それが真剣に食べられなくなってきたのがこの頃です)農村の労働力としては心もとない娘達は、田舎から出てきて(出されて)パリでなんとかお針子や女中としての職を得ながら、それでもどうしようもない生活をなんとかするためにもうひとつの仕事に手を出します。
有り難いことに?フランス革命で宗教をも壊した「時代の申し子たち」の子供達、つまり『キリスト教的な道徳観念を持たないで育った子供達の第2世代』です。貞操に対する罪悪感の薄さったらありません。
かくして、大勢の娼婦予備軍の娘達が誕生します。
この中で、とびっきりの美貌と幸運と頭の良さをもった娘達が、トラヴィアータ(椿姫)の主人公、ヴィオレッタのようなクルティザンヌへと変貌します。
一方、そこまでの幸運と美貌とに恵まれなかった娘達は、割とフットワーク軽くそして逞しく生きてゆきます。それがグリセット(Grisette)達です。
直訳すると『グレーの服の娘』とでも言えばいいのでしょうか?語源はグリ(Gri:グレー つまりお針子達の安価なグレーの制服)です。
当時の市民感覚としては「援助交際ギャル」とか「浮気娘」というところでしょうか。
グレーの制服を着たお針子や洗濯女達のお給金はとても安く、ギリギリ食べることは出来ますが、ちょっと気の利いたお洒落をしたり、カフェに行っておしゃべりをするには足りません。やはり副業が必要というか、手っ取り早くちょっとした贅沢をさせてくれる人が居たら嬉しいのです。
一方、中・上流階級出身の子息で医師や弁護士になるために大学に行っている学生や 裕福だけど、さすがにクルティザンヌを庇護するまでの資産はない老人達にとって、公営の娼館への出入りがはばかられる理由は山ほどあります。
かといって、同じ階級の娘達に手を出そうものなら、一応崩壊しているとはいえカトリックの国ですから、思いっきり差し障ります。
そういった双方の利害が一致した結果、「プロではない普通の女の子」のグリセット達は(当然、シルクを扱ったりしますので、身は–フランス人にしては—清潔にしていますし、手はすべすべです。)彼らのつかの間の愛人として、カフェに連れて行ってもらったり、可愛いアクセサリーやドレスを買ってもらうのです。
そう、ムゼッタなんかはグリセットそのものです。
若くて美人で魅力的で。マルチェッロの事は実際、大好きなのです。でも、愛だけでは生きていけないのです。
でも「贅沢が同じくらい好きなの…… アルチンドロは私の言うことなんでも聞いて、なんでも買ってくれるのよ。」
ムゼッタは、この物語の後、若い参事官の愛人になった時には、ル・アルプ通りを出てプリュイエール通りへと移り住みます。つまり、日本の江戸時代における大川の向島あたりの寮に住まわせた、小唄の師匠みたいな……ロレットと呼ばれる、もう他の仕事をしない身分へとステージアップします。
で、カンのいい方でしたらピン!と来られたかと思いますが、ボエーム2幕の群衆の中に「学生達とお針子達のカップル」が沢山出てきますね。つまりそういうカップル達でしょうか。
商売としての娼婦とは一線を画しているところもクルティザンヌと一緒ですが、彼女達は文化を創ることはしませんでした。
クルティザンヌがパリのガガ様なら、グリセットはリアルAKB。会いにいけるアイドル達といったところでしょう。
そして、ミミ。彼女も実際はそういったグリセットのひとりといっていいでしょう。
ミミは言います。「私の名前はミミ。本当はね、ルチアというの。」前にも書きましたね。「可愛い子ちゃん」「ねんねちゃん」という意味の愛称だと。
まずい事に(笑;;;; 「ミミ」「ジュジュ」「ルル」「ロロ」といった『繰り返し名』はマキシムを代表とする 踊り子たちの源氏名に多い名前であり、愛称であったようです。
ミミもきっとそういった中で、ちょっとまだ擦れていない、可愛い娘として「ギョーカイ」でそう呼ばれていたのでしょう。
現に、とても恋愛上手な可愛さと、病気のためロドルフォと別れて「ちゃんと」子爵に面倒を見てもらうことが出来るだけの知恵と力量とを持っていたようです。
それに、ロドルフォと知り合って間もない2幕の頭でも「ねえ、このバラ色の帽子、私に凄く似合うの」といって可愛いおねだりをしています。かなり高度なテクニックです。
原作に出てくる「浮気性で気まぐれなミミ(本名リュシェル:ルチアのフランス語)と清純でフランシーヌという肺病で死んでしまう儚い乙女との二人を合わせたキャラクターがプッチーニのミミ」と言われています。 プッチーニの好みから、耳にはどちらかというとフランシーヌの一途さと清純さが前面に出た性格なっているため、男性、特に日本の男性の間には、ミミ=聖女説がある一方、ミミを娼婦とこき下ろす説もあります。
私はこのどちらの両極端の説にも賛成しかねるんです。やっぱりプッチーニが自分の好きなタイプの女の子として造り上げたキャラクターだけの事はあります。基本、根は善良で純真です。
けれど、ムゼッタを初めてみたとき、「e pur ben vestita! (でも素敵なドレスよ!)」と言ったり、サンゴの首飾りをしっかりと欲しがったり、ちょっとその生活の片鱗を見せてもくれています。「私はミミと呼ばれています」というアリアの歌詞も、随所にロドルフォを誘う言葉が盛り込まれているのです。
ひとりで、 お昼ごはんを作って食べています。(カレシはいないのよ)
Mi chiamano Mimì : puccini d’Opera “La Bohème”
ミサには毎回は行っていません( 神様に縛られているわけではないのよ…多少の不品行くらいなら)
でも、神様にはたくさんお祈りしているんですよ。(あ、でもそんなに自堕落じゃないのよ)
一人です……たった一人で生きているんです
もう、めっちゃくちゃに上手いです。モテ期がまだ!と仰る方はぜひミミをご参考になさってください。
また、1830年初頭のグリセットたちは、まだまだ牧歌的で、学生たちや若い芸術家たちの恋人として、まめまめしく尽くすことが主だったそうです。それが40年代以降になると、経済状態の悪化から、更に荒んだ生活を送る娘たちが多くなっていったそうです。
そのため、プッチーニはどうしても時代を1830年代初頭に持っていきたかったんだろうな。
カレーラスとストラータスのラ・ボエーム(DVD)
【「らしい」ボエームといえばこれ!】
出演: ストラータス(テレサ), カレーラス(ホセ), スコット(レナータ) 演出は絶対者ゼッフィレッリのまさに正統派。
やっぱり、声だって大切だけれど、オペラだってビジュアル大事。 みていてしみじみ「らしい」なあと思えるのがこちら。演技派ストラータスとせつないカレーラスが絶品。声を堪能するというよりオペラとして楽しみたい。